平手汎秀
信長の傅役・平手政秀の孫
(政秀の息子・久秀の息子)もしくは、政秀の三男。
母は加藤清正の姉と言われる。
信長の武将として本願寺攻めなどに転戦。
三方原に家康の援軍として佐久間信盛 林秀貞らと派遣された。佐久間信盛らは撤退したが、汎秀は家康と共に戦い、討ち死にした。
後に佐久間信盛らはこのときに平手汎秀を見殺しにした事もあり、織田家を追放された。
戦没地には かつて平手神社があり、
平手汎秀は喘息持ちだった亡くなる前に
この土地の喉を患う民を救うと言って亡くなったので 喘息 喉の神として信仰された。
2015-03-09 15:03:01 +0000