大阪商船 黒龍丸型貨客船 鴨緑丸

パンターF

「黒龍丸型貨客船の妹、鴨緑丸です。姉さんと同じく、大連航路用として生まれてきました。ちょっとお産が早いハプニングもありましたね。…あぁ、ヘルシップについてですか。隠してもしょうがないですしね、私は捕虜輸送船の「ヘルシップ」として記録されています。」

大連航路船、マニラで散る

鴨緑丸は大連航路用の大型貨客船として生まれてきた黒龍丸の2番船です。日中戦争、そして太平洋戦争に翻弄されながらも、かなりギリギリまで民間航路で働き続けました。
そんな鴨緑丸ですが、進水式の日に滑走台の点検をしていたところ、突如船体が滑り出し進水してしまうハプニングがありました。
長崎造船所が謝りに来ましたが「母体を出るのが待ち切れずお産が早かったのだからお目出度いことではないか」という事で問題にはなりませんでした。
大連航路、そして台湾航路に転出しながらも民間輸送についていましたが、船腹不足を受けてついに軍徴用船として軍事輸送に駆り出されます。

そんな鴨緑丸はフィリピン増援船団の一員としてマニラに向かい、そして最後の引き上げ船としてマニラを発とうとします。引き上げ日本人、遭難船員、そして連合軍捕虜を船倉に詰め込んで帰ろうとしますが、第38任務群の空襲を受けて被弾炎上。捕虜輸送船の中では”比較的自由”だったので捕虜も加わっての消火活動や、弾薬運搬を手伝って高砂義勇兵と共に応戦、戦果をあげました。
しかしながら出港時に石炭庫のバランスが取れていない上に被弾して傾斜が止まらず、鴨緑丸は座礁して空襲の合間に全員を上陸して、船員が見守る中炎に包まれて力尽きました。
1944年12月15日の事でした。

その後、鴨緑丸に”積載された”連合軍捕虜は、さらに過酷な輸送と労働に駆り出されることになりました。

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2015-01-07 15:21:17 +0000