「明治戊辰鳥羽の戦、官軍の一隊少勢なりしかば、急を相国寺中の陣営に報じ、援兵を乞う。翁(西郷隆盛)、手を挙げて、『残れる人数いくばくなりや』と問う。答えていう、『一小隊あり』と。翁笑うて言う、『皆死せ、しかしてのち援兵を送らん』と。」(『西郷南洲遺訓』)▼年内に何かしら描いて終わらねばと思い、イッキに仕上げました。とはいえ相変わらずいつもの薩摩藩兵ですが。▼右は小銃隊将校。黒の詰襟マンテルにズボンという、一般的な洋装スタイル。戦場での軍装ということで、陣笠をかぶり陣羽織を着用して指揮杖を手にし、胸元には懐中時計。履物はまあ実際には草鞋だったと思われますが、洒落た高級将校にあってはこのようなロングブーツもいたのではないかと。上腕の白布は、おなじみ薩摩藩兵の合印で、西南役まで用いられました。▼左は小銃隊の下士卒。こちらも詰襟フロックをはだけて着用し、ズボンに草鞋履き。薩摩藩兵のトレードマークともいえる尖笠(ハップリ笠)は、時代劇などの影響で鋭角のコーンみたいなイメージが一般には流布していますが、現存する実物は基本的にこういった銃陣笠の変形版のような形状です。小銃は一般的なエンフィールドの二つバンド。肩から下げた盒で弾薬類を携行します。流行していた派手な朱鞘は、のちの西南役においても薩摩士族の代名詞となりました。▼古写真の薩摩藩兵は、他藩兵と異なり、洋装していても刀をきっちり二本差しているケースが少なくなく、彼らの誇りと矜持を感じさせられます。果断な将帥と勇猛な士卒に恵まれた薩軍は、鳥羽伏見以降も官軍の主力を務め、維新回天の原動力となりました。
2014-12-24 13:03:12 +0000