茨城県鹿嶋市の鹿島城です。鹿島神宮の神職を兼ねる常陸大掾氏の一族鹿島氏の本拠鹿島城です。最盛期には鹿島神宮を城内に取り込むなど当時ちしては異例の規模を誇りました。南北朝時代の鹿島神宮大行事鹿島幹重は小山義政(小山芳姫の夫)・若犬丸とも激しく戦いました。まさに鎌倉公方足利氏満の切り札的な存在でした。
そんな鹿島氏も大掾氏共々、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣せず、その後の処遇を一任された佐竹義宣によって親戚縁者騙し討ちで皆殺しにあいます(三十三館仕置)
主を失った鹿島城は徹底抗戦を試みるも佐竹軍の猛攻の前に敢なく落城・・・戦国時代とはいえこれほどイプ的な大量虐殺は類例を見ないのでした。他の大掾氏の領地では無人の野を往くが如く・・・
鹿島城の手前に鹿島神宮が見えていますが、社殿など配置は適当です・・・雰囲気をお楽しみ下さい
2014-12-20 06:21:43 +0000