鳥居元忠
通称 彦右衛門
子孫 大石内蔵助 他
松平家の老臣・鳥居忠吉の息子。
今川の人質にも竹千代(家康)に従い竹千代に忠勤を励んだ。あるとき、竹千代に縁側から突き落とされたが、父・忠吉は、人質でありながら 卑屈になることなく、振る舞うとは立派と感動したとか。家康のある戦場に常にあり、足を負傷する奮戦を見せたりした。以後足を悪くし、歩行困難になったが、徳川家臣団での人望は絶大だった。
関ヶ原前の徳川家臣団の会議において、捨て石になる伏見城留守居役を決める際は自ら引き受けたとも言われる。この役は三成らを釣るためでもあり、玉砕 捨て石でありながら、
家康が反転してくるまで、少しでも時間稼ぎをしなくてはならない、また、徳川家臣団を
その死をもって、奮い立たせる人望の持ち主でなくてはならない、為に鳥居元忠しかいなかった。
家康は、伏見城を離れる夜に 鳥居元忠と二人飲み別れを惜しんだと言われる。
「彦 足は痛まぬか・・・。」
伏見城攻めでは、松平家忠(家忠日記の作者 徳川家きっての土木家)らと奮戦し、切腹、
その血が染み込んだ 板は 京都 養源院の天井板に使われ 血天井として知られる。
子孫に 忠臣蔵の大石内蔵助がいる。
2014-12-11 10:20:00 +0000