戦中戦後を駆け抜けた下駄電

うきは

戦時中の昭和19年から戦後の昭和26年にかけて大量に生産された通勤型の63型電車
特に戦後混乱期に増加する都市部の通勤需要には良く対応したが、
資材不足や熟練工の不足から粗製乱造された63型電車は故障や電装品からの出火消失が多発し、
特にいわゆる桜木町事件以降には抜本的な改修改善が急務とされた
特徴とされた中段固定の3段窓の全開可能とする改造。不燃難燃対策、ドアコックの表示等、
恒久使用に耐えうる仕様に改造された固体を72系電車と新たに改形式し都市部の混雑線区に送り込んだ

改造は各地の工場で行われ、また後年の転属や修繕の折に各工場、使用線区に特化した改造が行われた為、
一両一両が異なり全く同じものが無いほどのバリエーションに発展した
一両で年次によって異なるなど、ファンの調査対象としては永遠の課題となった

101系、103系の都市部への充足が進むと、都市近郊路線から地方路線へと転属していったが
戦中設計の「取り敢えず乗客を捌ければ良い」という思想の電車の割には最終的に1980年代まで使用が継続された
北の仙石線、南の可部線を最後に初期の車両が廃車になり
最後まで残った後期生産の全金属車体を持ったグループが富山港線から引退することで、
永きにわたった下駄電の歴史も終止符を打った
4ドアロングシートの通勤型電車の設計思想は今なお日本の通勤電車の設計思想として受け継がれており、
この電車の残した意義はまことに大きく。まさに通勤電車のパイオニアといっても過言ではないだろう

近年、事業用車として残されていた1両が復元され、名古屋のリニア鉄道館に収蔵されたのは喜ばしい
反面、末期まで残った「72系」の姿を伝える車両は1両も残されていないことに残念な感を覚える

以前、ジュラ電改造の63/72を描いたことがあるが、いわゆる普通のクモハ73を描いてみたくて今回描き起こしてみた
キャプション中にあるとおり、1両1両が個体差を持っており、この番号のこの年代の姿、で描かないとなかなか忠実には描くことが出来ない題材でもある
今回は特に番号は指定せずに、標準的なクモハ73の姿という感じで描いてみた

#railway#72系#クモハ73#釣り掛け電車#国鉄時代#日本国有鉄道#ゲタ電#旧型国電

2014-11-16 10:07:41 +0000