名古屋市電は長らく木造単車を主力としていましたが、昭和時代になると、老朽化が激しくなって使用に耐えられなくなり、サービス向上や小型車の多数運転によるフリークエントサービスでバスに対抗するため、木造単車を名古屋市電気局西町工場で改造した鋼製単車を登場させました。
1935年に2両が試しに改造され、151,152号となりました(イラスト上段左)。この2両の特徴は当時流行していた流線型のスタイルを取り入れており、ジュラルミン製窓枠を用いる等、意欲的な試みを取り入れていました。塗装は黄色と緑のツートンカラーを始めて採用し、以後の名古屋市電の標準塗装となりました。
この2両に続いて1937年までに153~170までの18両が改造されました(イラスト上段右)。量産車は製造を容易にするため流線型スタイルをやめ、窓枠も木製になっています。
1937年~39年に最後のグループが171~204までの34両製造されました(イラスト下段左)。このグループでは客室窓の高さが高くなり、戸袋窓も設けられて軽快なスタイルとなりました。
これらの単車はブリル21E台車やモーターを高床の旧型単車から流用したため高床車両となったものの、ドアステップの高さを低床車両並みにしたため客室内に勾配が生じて不評だったものの、戦中を通して活躍し、1952年には集電装置をビューゲル化(イラスト下段)して1956年まで活躍、名古屋市電最後の旅客用の単車となりました。廃車後は花電車に改造されたり豊橋鉄道に譲渡され同社のモハ500形となり1968年まで使用されました。現在は179号の廃車体が名古屋市内の上前津東公園で小屋として現存しています。正面窓がふさがれ、車体のみですが、戦前の鋼製単車の生き残りとして貴重な存在です。現在の塗装は1400形などのワンマンカー風となっていますが、179号が現役の頃にまとったことはありませんでした。本作の下段右は179号がもしもワンマンカーに改造されたらこんな感じだったろうと想像して描いたものです。この179号ですが、出来ることなら車体を整備してダミーでいいからトロリーポールや台車を装備してきちんとした形で整備、保存してもらいたいと個人的に思います。
本作は名古屋市電全廃記念時に出版された「名古屋を走って77年」に掲載された図面を元に縮尺1.5/80で描いたものです。
参考:名古屋を走って77年 名古屋市交通局
名古屋の市電と町並み 日本路面電車同好会名古屋支部 トンボ出版
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%B1%80%E3%81%AE%E5%8D%8A%E9%8B%BC%E8%A3%BD%E5%8D%98%E8%BB%8A
http://blog.livedoor.jp/isorokuma/archives/29786387.html
2014-11-14 13:11:08 +0000