伊那谷の関西急電

うきは

私鉄王国といわれる関西は戦前から京阪神間で国鉄と私鉄が激しい旅客誘致合戦を繰り広げていた
京都~大阪、大阪~神戸ともに国鉄をはさんで私鉄が並行し、蒸機列車運転で都市間長距離輸送が使命の国鉄はこの地区では常に後塵を排していた
ごく狭いエリアに大都市が連続する京阪神間では蒸機列車では輸送力に限りがあり、早くから国鉄でも電車運転が行われていた
関東よりも優先的に大型の42系電車が投入され並行私鉄への対抗馬とされていたが、
さらなる旅客増とスピードアップを狙って製造されたのが52系電車である
先の42系をベースに当時流行だった流線型を取り入れ設計製造された
昭和11年から12年にかけて各形式一族20両が関西急電区間にデビューした
以後、太平洋戦争を挟んで関西地区で使用され、1957年には飯田線伊那松島機関区を経て豊橋機関区へと集められた
戦前製で少数派だったが、飯田線旧国末期まで使用され1978年に惜しまれつつ引退した
流電一族のうち、正面貫通扉をつけた半流線型のいわゆる「合いの子」は旧国全廃の1983年までその姿を伊那路に留めた

廃車後、国鉄電車のエポックメイキング的性質を重んじ、2両が保存されるにいたった
どちらも現在は限りなく登場時の姿に復元されて保存されている
多くの一般的旧型国電が廃車解体され残っていないのと比較すると大変喜ばしいことである

てなわけで、しばらく電車とか描いてなかった・・・
というか絵を描いていなかったのでリハビリがてら一発
昨今、KATOの飯田線シリーズ攻勢が激しいが、合いの子もリリースされたことだし、
そろそろ流電の決定的製品がリリースされてもおかしくはないだろう
出たら買うわ。間違いなくW

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2014-11-02 13:04:30 +0000