森三左衛門可成
森家は源義家の7男・義隆の子孫。
義隆は義家の息子の中で一番の長命で、
源氏の長老。
本貫地は相模国毛利荘
(現在の神奈川県厚木市毛利台辺り)
源義朝(頼朝・義経の父)に従い平治の乱で戦い、戦傷死した。
義隆の三男の子孫が美濃の土岐氏に仕えた。
土岐氏が斎藤道三に滅ぼされ、森可成は
信長に仕え、以後は重臣として重きをなした。刀の鐔商人に化けて、自ら偵察任務を行ったりもした。
猛将でありながら、智将、人情にも厚く、
前田利家が刃傷事件を起こし、信長に成敗されそうになった時は、これを諌め、追放にとどめ、助命に成功した。
浅井長政・朝倉義景連合軍の京都侵攻を食い止めるために、宇佐山城から出陣し、撃退するも本願寺勢なども加わり、これをも撃退せんと奮戦して壮烈な討ち死にを遂げた。
信長の可成に対する信頼は絶大で、以後は
息子らも重用された。
長男・可隆は初陣で戦死。次男・長可は
本能寺後に秀吉に仕え 小牧長久手の戦いで討ち死に。
三男・蘭丸、四男・坊丸、五男・力丸は、
本能寺で信長に殉じた。
森家は六男・忠政が継いだ。
2014-10-27 11:19:58 +0000