短時間挑戦 2264

ポテトサラダ

 *さて、本日の短時間挑戦は飛行物体で御座います。
 御覧の通り恐ろしく特徴的な主翼を持つレシプロ機。
 逆にそれ以外の部分には大きな特徴もなく、更に塗装もほぼ一色という代物。
 お陰で塗装の際、それらしさが出ず逆の意味で骨を折る結果に。
 お時間は23分となりました。

 *本日の飛行機はチャンス・ヴォート社のF4Uコルセアで御座います。
 第二次世界大戦と朝鮮戦争に於いて米海軍と海兵隊が使用した代物。
 大量生産向きだったのか、グットイヤー社。ブルースター社でも生産されました。
 ちなみに、日本海軍では当時、シコルスキーと呼ばれておりました。

 前方視野の視界を良くするためにこの翼の形となった面白い機体で1938年2月より開発が始まったそうです。
 エンジンを強力にするための犠牲なのか、当時の機体としては破格の大きさだったそうで、海軍で最も大きなプロペラを付け、更に海軍で最も重たい艦上戦闘機となったのだとか。
 42年に機体その物は完成し、時速650キロを記録するなど性能その物は中々の物だったのですが、F4Fワイルドキャットの後継機の座はF6Fヘルキャットに譲る形となっております。
 長いノーズのため前方の死海が不十分で、更に巨大なプロペラのお陰で着艦時、甲板などにプロペラをぶつけて破損させる可能性があるため次期艦載機の正式採用が見送られる形となったようです。
 辛辣な意見として、航空母艦に搭載されるための機体設計をしなかった欠陥機とさえ呼ばれたそうです。

 とは申せ、既に量産体制に入っている上中々悪くない数値を記録しているのも確かで、艦載機としてではなく、陸上機として海兵隊に引き渡される形となりました。
 そして、太平洋戦線に投入されたのだそうですが、42年2月14日、日本海軍の防空体と初交戦した際、何と編隊中10機が撃墜され相手側ゼロ戦は僅か1機が自爆したのみと言うとんでもない大損害を出してしまったのだとか。
 この事件は後にセントバレンタインデーの虐殺と呼ばれる敗北として記録されたそうです。

 唯、これも又数値的なことであり、公平な天秤ではなかったことも御座います。
 ゼロ戦のパイロットは手練れで、逆にこちらのパイロットはこの機体での練度が低く、更にエンジンの調子も良くなかったとか。
 何せ、ロールアウトしたその年のことですから、エラーの叩き出しがほぼ行われていない状態であったのも又確かで御座います。

 対戦末期となり、空母でもやっと運用が開始されると、空戦性能を活かしての空中戦に加え、元々の設計思想である強力な馬力を活かした爆撃装備を行い爆撃機としての運用も行われ、硫黄島や沖縄を攻撃しております。
 加速性能は強力な馬力のために良いのですが、代わりに上昇率は低く、最適上昇速度も232キロだったそうです。
 高速時の捻りは効きやすい物の、低速時では効き難く、ラダーが重くスピンからの回復が困難などと言う正に直線番長その物だったそうです。
 それ故、上記の大敗退という結果に繋がったのだとか。
 ですので、専用の戦闘方法を確立する前であったこともあり、ライバル機F6Fヘルキャットの方が手強かったという証言もある上、米軍自体もゼロ戦相手はこの機体の方が良かったと申しております。

 唯、熟練したパイロットを先に失って行き、新兵ばかりとなっていった日本に比べ、逆に熟練パイロットが増えてきた末期になってくると優位性は全く逆転し、2140機の日本軍機を撃墜しつつ、コルセアは189機を失ったのみと言う航空線の歴史の中でも抜群の実績を残すことになりました。
 唯、この数値も又戦勝国の歴史。
 更にコンピューターなどで記録管理をしているわけではないので本当にこの数を撃墜したのかと言われると、眉唾物と言う事もあるのだとか。

 まあ、結局どの機体であろうと公平な比較は現実では行えることはなく、現在のシミュレーションでしかその結果は分からないと言うことで御座いますね。

 この様な機体ですが、英海軍にも供与され、44年から終戦まで運用されたそうです。
 面白いのは米買う軍よりも先の43年に空母での運用試験を行ったと言う事。
 何でも、左旋回をしつつ着艦したことにより着艦寸前迄視界を確保できたと言う事が大きな功績のようです。
 ちなみに、英国空母の格納庫は天井が低い事と、低空における性能向上のため主翼の橋が切り落とされたのだとか。

 大戦後はジェットエンジンにどんどん移行していった物の、木造甲板の空母では危険であったため戦後も暫くは当機の生産が続いたのだそうです。
 当然、空対空はジェット戦闘機に譲りこちらは空対地の爆撃任務となったのですが、この仕事こそ適任であり50年代まで生産が続く程であったとか。
 後、これも又練度に関係しますが、朝鮮戦争に於いてMig-15の米軍初の撃墜記録もこの機体が持っております。

 その後、同盟国に供給され、ラテンアメリカ諸国ではかなりの間現役だったとか。
 69年サッカー戦争に於いて使用され、それがレシプロ戦闘機同士の最後の空中戦となったのだそうです。
 これ程長く生産が続いたため、様々な派生機が生まれ、なんと電子ポッドの装備などと言う存在の時代が違うのではと言いたくなるような物まで装備した物が生まれたのだとか。
 これはひとえにこの巨体故。
 元々強力な馬力を活かす為に設計されていたので、後の時代の更に強力なエンジン等を搭載しても不具合が生じなかったという設計の優秀さが御座います。

 *本日の見学者さんは海賊の愛称を持つ面白い機体で御座いますので海繋がりと言う事で船長さんで御座います。
 普段は命蓮寺専属のメカニックとして日々忙しく過ごす船長さんで御座いますが、そのライバルは当然カッパさん達。
 船長さんの様にある主任務に凝り固まった技術や思考と違い、カッパさん達は正に趣味であり本能。
 心から楽しんでいるだけにその発想の幅や柔軟性は船長さんを以てしても敵いません。
 ですので、時々現世に出て自身も様々な刺激に触れることで柔軟な発想を得るべく努力しております。

 そんなとき発見したのがこちらの機体。
 普通であれば考えも着かない主翼を折り曲げるという行為。
 この必要に迫られた自由な発想を持つ鉄の鳥に相当興味が湧いたのか、ショーの練習中であったこちらの機体に一日中併走飛行を続ける船長さんで御座いました。

#sketch#line art#female#F4U#コルセア

2014-09-13 12:22:43 +0000