ある昼下がり、少女は息を切らせながら廊下を急いで走っていた。
(アセムまたケンカしてるって・・・!)
それをその現場を目撃したらしいクラスメートが教えてくれた。
その話を聞いた少女が『またなの、アセム・・・』と頭を抱えると、彼女らがにやにやと笑っていたのが妙に印象に残っている。
少女は、彼に対して抱いているその感情を表立って意識すると、ついつい顔に出てしまう。
(わたし、あの時顔赤くなってなかったよね・・・?)
そんなことを考えながら走っていたら、少女はいつの間にか現場へ着いた。
そこには三人の少年たちが横たわり、その近くにひときわ目立つ金色の髪の少年が顔を押さえて座り込んでいた。
「アセム」
金髪の少年は自身の名前を呼ばれるとスッと顔を上げた。
「ロマリー」
「どうしたの?」
そんな言葉に少女は肩を落とした。
「どうしたの?じゃないでしょう? アセムがケンカしてるって聞いたから走ってきたのよ?
それで?今回のきっかけはなーに? またいきなり絡まれたの?」
「そういうんじゃ、ないけど・・・」
少年の言葉はいつもに比べ歯切れが悪かった。
それに加え、少年にしては珍しく傷を負っているようだ。
どうしてだろうと思う少女。が、しかし
「いいわ、ちょっと待ってて」
そう言うと少女は水場へ駆けだした。
「はい、濡らしたハンカチ。 顔に当てて?」
「あ、ありがとう・・・」
少年は少女から受け取ったハンカチを顔に当てたが、次第に俯き加減になり、なぜか頬を染めていた。
「?」
少女はそれを不思議そうな目で見ていた。
(あんなこと本人には言えるわけない・・・)
少年はその時、ケンカの最中に口走った〈ある言葉〉を思い出していた―――。
『よお、今日はロマリーと一緒じゃないのかい?』
昼休み、アセムが暇つぶしにひとり外を歩いていると、後ろから声をかけられた。
『いつも一緒にいるんだろー?』
『そーそー』
アセムがそちらを見やると、三人の少年たちが下卑た笑いを浮かべていた。
一人はガタイのいい角ばった、また一人はすばしっこそうな、真ん中の少年はほっそりとしているがおそらく彼らのリーダーなのだろうと思う。
アセムは質問に答えた。
『ロマリーとはそんな関係じゃない』
どうしてか、そう言った彼の表情は暗かった。
(そうだ、ただの幼馴染なんだよ。特別な感情がないわけじゃない・・・けど)
それを聞いたリーダー格の少年は話を続ける。
『そうか、なら俺がロマリーをもらっちまおうかな』
『はぁ?』
少年の身も蓋もない言葉にアセムは素っ頓狂な声をあげた。
少年はニヤついている。
『お前とはそんな関係じゃないんだろう? なら俺が貰ったっていいよなぁ?』
それを聞いたアセムは笑い声をあげてこう言い放った。
『お前なんか、ロマリーが相手にするはずないだろ』
『なにぃ?』
言われた少年は頬をひくひくとさせている。
『言ってくれるじゃねーかナナヒカリさんよぉ』
『リーダーを馬鹿にするのは許されないぜ?』
脇に控えていた少年二人もアセムの売り言葉に黙ってはいられなくなったようだ。
アセムはそこで不敵に笑った。
ロマリーのことはともかく、親のことまで引き合いに出されては彼も黙ってはいられない。
『いいぜ、かかって来いよ。俺もイラついていたところだ!』
そこからはアセムにとっていつも通りの展開になる、はずだった。
ケンカが始まると、例のすばしっこそうな、ではなく、ガタイのいい少年が体格に似つかわしくない機敏な動きでアセムの背後に回った。
彼はすぐさまアセムを腕で抱え、押さえつける。
意外な機敏さに気を取られ、アセムはあっさりと彼に捕まってしまった。
『くっ、しまった!』
その隙に今度は、例のすばしっこそうな少年がアセムのポケットから携帯端末を奪い去った。
『リーダー!』
『おうよ!』
『あっ! こら、返せ!』
『うるせぇな・・・。おい、2、3発殴っとけ!』
『へい』
アセムが殴られているその隙に、携帯を受け取ったリーダー格の少年は、くっくっくと喉を鳴らしてこう言った。
『アセム、確かに俺が呼び出せばロマリーは来ないかもしれない。
が、お前の携帯で呼べば、どうなると思う?』
『!』
『ロマリーはホイホイ来ちまうだろうなぁ?』
『なんてったって愛しのアセムに呼び出されてるんだ、来ないわけがない』
少年たちに再び卑劣な笑みが浮かんだ。
それを見るアセムの沸点が徐々に上がっていく。
『これでロマリーを無理やりにでも懐柔させて、そしたら明日からは俺と一緒にいることになるかもなぁ?』
そのリーダー格の少年の言葉に、アセムの堪忍袋はついに切れた。
『お前らに・・・』
『ん?』
『お前らなんかに・・・』
『ロマリーを、渡すもんかぁ!』
アセムは言い放つとともに、自身を押さえつけていた少年のみぞおちに肘打ちを喰らわす。
喰らった少年は一撃のもとに沈んでしまう。
『ひぃ・・・』
すばしっこい少年が、そう声を上げた瞬間には、彼は顔面に力強い右ストレートを受けていた。
一部始終を見ていたリーダー格の少年はあまりの状況に口をパクパクとさせている。
『おい・・・』
『ふぇ?』
あまりの恐怖にリーダーの少年の言語力は低下していた。
アセムは一歩一歩じわりと、彼に迫る。
『お前さっき、明日からロマリーと一緒にいるのは俺かもなぁって言ってたよな・・・?』
『は、はい・・・』
『間違いだ。』
『え、?』
『ロマリーと一緒に居ていいのは俺、だけだぁ!!』
『は、はいぃいいいいい』
返答とともに彼の体は温かな日差しの下、宙を舞った。
「ねぇ・・・、ねぇ、アセムってば!」
「えっ?」
自分の言ったことを思い出して顔を赤くしていた少年は、呼ばれた声に驚いて目を丸くした。
ふと横を見ると、心配して不安げな顔を浮かべた少女が自分を覗き込んできていた。
「もう、なかなか呼んでも反応しないから心配したのよ?」
「え、あ・・・ごめん。」
立ち上がり、腰に手を当て、怒った風な少女をまだ少年はまともに見ることができないでいた。
「アセム?」
まっすぐな瞳でこちらを見る少女に、少年はまた顔を赤くする。
そんな状況にいてもたってもいられず、彼はいきなり立ち上がると、教室へ向かって走り出した。
「あっ!アセム!ちょっと、待ってよー!」
少年は呼ばれた声も聞かずに走り続ける。
(〈あんな言葉〉ロマリーに言えるはずない・・・!)
しかし、逆にいつか言える日は来るのだろうか、と不安になる少年であった。
2014-07-02 11:50:32 +0000