「わてが軽空母龍城や!…なんて、本当の名前は”神州丸”言います。よろしゅうお願いします。」
世界初の揚陸艦
上陸戦に使う大発と小発は、実際に望み通りの活躍をしましたが、同時に問題点が浮上します。それは大発と兵員の輸送をする輸送船でした。輸送船からデリックを使って海上に下し、縄梯子を使って舷側から大発に移動する方式では時間がかかり、荒れた海上では乗り移りが出来ないなどの問題点が分かったのです。
それならば船内で搭乗して発進できないか、せっかくだから航空機を発進して上空直掩にほしい…海上に全くの無知な日本陸軍が好き勝手引いた図面を海軍に精査してもらった所、速攻で書き直されて神州丸は誕生しました。
船体の水線付近は船首から船尾まで通しの大発搭載甲板となり、ローラーと天井クレーンを使用して船尾から急速発進が可能、船首と船尾には大型クレーンを設置して装甲艇なども輸送可能、凸型の船体からは航空機の発艦も出来る世界初の揚陸艇が完成したのです。
実際に中国戦線で上陸戦に投入された神州丸は、その性能をいかんなく発揮したのです。
所が、その凸型という一般商船とは大きくかけ離れた船型はたちまち諸外国の目を引き写真を撮られまくります。日本陸軍も混同を狙った改名で秘匿を図りますが、船影が船影だけに効果は全くありません。
「商船型の方が目立たなくて良いや」となり、以後の舟艇母艦は意図的に一般商船の形にし、航空機運用能力が欲しい場合は適宜改装する事として、改装しやすい設計とするにとどめました。
そんな神州丸ですが、性能はすでに証明済。開戦初期から南方への上陸作戦に従事します。
そして1942/02/28のジャワ上陸作戦で謎の魚雷攻撃を受け、大破横転します。この時は上陸船団の指揮船として今村均陸軍大将が海に投げだされてしばらく漂泊します。犯人は最上君でした。また君か。
海軍はあわてて平謝りしましたが、相手は仏の今村、「勝利に沸く中水を差すのは気が引ける」と言う訳でこの事件は水に流されました。
その後浮揚回収、そして修理された後は輸送任務に就きますが、ヒ島決戦の為の兵力輸送作戦であるマタ40船団に参加、1945/01/03に空襲を受けて大破放棄、洋上漂流中に潜水艦からの魚雷攻撃を受けて戦没します。
龍驤との名前ネタ、そして似たような船型から龍驤をベースとして描いています。
が、遠くから見ると似てますが、近くで見ると色々違う。
そんな感じにしました。
2014-05-18 13:54:02 +0000