某所でるーさーのこの台詞『解は無駄に収束しているぞ!』って、言葉的におかしくね?と指摘され、その時、初めて「ハッ!これって宇野リッシュだったのか!」と理系なのに普通にスルーしてしまった自分に驚いた。しかし、解は無題に収束している、という言葉はオカシイのだろうか? ちょっと考えてみた。収束とは無限級数形あるいは、分子分母無限大形式において、一定値に沿っていくという事である。極限を取ったときに起きる事なので、収束をみているので極限操作をしている事になる。何の極限を取っているのか不明だがストーリーの前後関係からパラメーターは時間とみていいだろう。時間のリミットをかけた時、収束性の式を見ているのだろう。ここで「解」とは恐らく収束値の事を言っていると思われる。 例えば (2n+1)/(n+100000)をnで極限をとると、2である。この例の2の値の極限の事を「解」というかと言われると、あまり慣用的に使うとは思えないが、収束値を「解」といえなくもない。収束を見る場合には、収束値とか極限とかいうのが普通だが、大雑把に「解」といっても、通らなくはない。問題なのは「無駄」という単語だろう。例えば、何らかの収束極限を見なければならない時、システム制御などがそうであるが「この領域値に収束してくれないと困る」というゾーンがある。例え収束したとしても(最も恐れるのは発散解であり、システムを破壊する状態である)安定収束するかどうかは別で、収束したゾーンが「不安定」であった場合、その収束は「望ましくない収束」なので、「無駄」といえる。その為システム安定を目指してよりパラメータを絞って収束値が安定空間に行くように操作するのだが、そのようなシステム制御の基本を思えば「解は無駄に収束している」という言葉はそこまでオカシイ言葉ではない。ただ、システム制御的にみてこの言葉は、「予定収束値があり、発散していないので予定収束値に向かってはいるが、今のこの状況ではこっちの思惑内の収束値に到達しない。無駄な(?)(不安定な)パラメーター状況で制御を続けている」という意味になる。という事はこの言葉を発する状況は制御者にとっては「これはダメな状況デース!金剛がなんとなく好きデース」という事でありアークスの働きにるーさーが制御者として圧倒的敗北をしている事になる。つまり【敗者】の通り名通りの事を格好つけていっているのである。「てへへへ!制御失敗やらかしちゃってるけど、挽回するもんね!」という意味である。なるほど! そういう事か! 騙される所だったわ! そんな無駄な事を考えているよりも金剛のおっぱいの絵を見るためにネットサーフィンしてる方が幸せになれ葬デース
2014-05-10 23:32:09 +0000