「大阪商船、南米移民向けの貨客船であったあるぜんちな丸の妹、ぶら志゛る丸
です。開戦後は輸送船として働きましたが、ミッドウェーの敗北を受けて空母改装をされることとなり、トラック島を出港、その途中で雷撃を受け、戦没しました…。お姉さんは元気でしょうか?」
天皇陛下万歳!
姉のあるぜんちな丸の姉妹船であるぶら志゛る丸(以後ぶらじる丸表記)は、南米世界一周航路に投入された豪華貨客船ですが、その実態は戦時に軽空母へ改装する為の船でした。
所で、姉妹船なのであるぜんちな丸とぶらじる丸の内装は同じでしたが、実は1等ラウンジの天井照明を、姉と違いビームを露出させそこに照明を取り付ける間接照明としたのです。これは設計担当であった工務部部長が「ビームは船特有の持ち味だから、むしろ、あからさまに出して効果を出したら」として設計変更した為です。
あるぜんちな丸と同じく南米経由の世界1周航路へ就航しましたが、第2次世界大戦の勃発に伴う世界情勢の悪化を受け、3回しか本来の仕事で働けませんでした。その後は大阪商船が航路を持っていた大連航路に投入されますがほどなく開戦、海軍へと徴用されました。
徴用後ではあっても、空母が豊富な時期ですから貨客船であることを生かしての輸送任務を行っていました。あのミッドウェー作戦でも本隊の後ろで輸送部隊の1隻として参加していました。
ミッドウェー海戦後もしばらくは輸送任務に就いていましたが、軽空母への改装が決定した為、ラバウル行の輸送任務をトラックで打ち切って本土へ帰ります。
ですが、単独航海での帰路に潜水艦からの雷撃を受け、ぶらじる丸は沈没します。
最期の時、「仏の仁助」と呼ばれた大野仁助船長はブリッジに立ち「天皇陛下万歳!」と万歳三唱をしながら船と運命を共にしました。
手元に抱える古くボロボロで黄ばんだ船長帽は、彼女にとって思い出の品です。
2014-04-22 12:29:21 +0000