「戦時標準船M型として誕生しました、日向丸です。レイテ島決戦でサンフェルナンドへ部隊を輸送、大発の急速発進で舟艇母艦の正しさを証明しました!あ、あれ?あなた達付いて来るの?!」
活躍した最後の陸軍舟艇母艦
こちらも戦時標準船M型の日向丸です。でも1番艦はこっちの方です。
姉妹艦、それも大戦末期の1944年起工ですからほとんど摂津丸と変わりませんが、大きな違いは煙突が1本という点です。
本船はギリギリのタイミングで比島増援作戦に参加、搭載した大発による短時間揚陸を成功させ、舟艇母艦のコンセプトが正しい事を証明しました。
しかも、同乗・臨時展開していた増援用の機関砲対空部隊が何を思ったか現場判断でそのまま日向丸に居残り帰ってくるという珍事も発生しました。
所がそれが役に立ちます。帰りの船団を米艦載機が襲いかかりますが、居座った機関砲部隊の猛烈な対空弾幕により機銃掃射による若干の被害のみで帰投しました。
そんな日向丸ですが、1945年3月30日に博多港外で触雷擱座、残念ながら妹の摂津丸の様に復帰する事も無く、戦後浮揚解体されました。
陸軍の予算で建造された民間船ですから、軍事っぽい部分を極力隠すようにしました。腕には大阪商船のファンネルマークが付いています。対空機銃マシマシです。大発の格納部は隠さないといけませんから、普通の輸送船は機関部部込みでサスペンダー取り付けの所を登山バック一体型として「民間商船とはちょっと異なる所」を目指しました。
2014-02-08 06:46:07 +0000