『次は〜、京都七条〜、七条〜』
小さい頃、母の家に行くと必ず祖父と電車ごっこをしていた。
『次は〜、四条、四条で御座います。』
当時の自分には聞いたことのない駅名を言う祖父。それが京阪電車の駅だと知ったのは、小学校に上がってからだった。
祖父は時々言っていた。
『テレビを乗せた電車があるんだ。日本一の電車だ。』と…。
高校生になった年のGW、祖父は亡くなった。
あの日から数年経ったが、まだ気になる事があった。何故祖父が京阪の、しかも3000系をあんなに褒めていたのか…。
祖父が京都出身だと言うのは知っていた。だからって、それだけであんなに言うのか…?鉄道マニアだった話は聞かない。
そして、ついに、私は母に尋ねた。
『なあ、何で爺ちゃんはあんなに3000系を褒めてたんかな?知ってる?』
すると母から、信じ難い言葉が出た。
『言ってなかった?お祖父ちゃん、昔京阪の運転士だったのよ?』
…言葉が出なかった。あまりにも衝撃で、あまりにも嬉しかったからだ。
暫くして母は、一枚の写真を出してきた。
京阪5000系の前で笑う初老の運転士の写真。現役の頃の祖父だった。
その時、全てが繋がった。
京阪が凄く身近に思えた理由。
京阪が大好きになった理由。
それは全て、祖父の影響だったのだ…。
今回のイラストは、祖父の顔を思い出しながら、昔の京阪の制服を着て指差喚呼をする祖父と、祖父の、そして私の愛する京阪3000系を描いた物だ。祖父の退職は昭和62年だったそうだ。
今度母の実家に行った時、仏壇に京阪3000系の写真を飾ろう…。
私の最高の運転士である祖父に、敬意と京阪電車に出会えた感謝を、改めて伝える為に…。
2013-06-10 13:16:12 +0000