あってはならぬ事。堅い城壁に驕る事、退く敵を侮る事、兵糧を絶やす事、遠き砂煙に油断する事、ティムールに背く事” マーワラーアンナフルの言い伝え”――法螺ですが。若き日に貴重な教訓をもたらした敗北を除けば、その戦歴はまさに常勝不敗。シャフリサブス(現ウズベキスタンの都市)の、テュルク系モンゴル没落貴族に生まれたティムールは僅か数人の従者しか持たぬ身分から、その軍事的才能によってトランスオクシアナを制覇しました。キュレゲン(大ハーン一族の女婿)として実質上の権力を手に一族による支配を確立、その後も中央アジアの征服を押し進め、北はロシア、南はインド、1402年にはオスマン朝の雷帝バヤジットをアンカラの戦いで撃破、最後は中国への大遠征の途上で没しました。もし彼の寿命がもう少し残されていたならば、どれほどの戦いが繰り広げられ、どの様な歴史が展開した事か!そんなティムールはイスファハン(イランの都市)にて反乱への戒めとして七万の市民の首で築いたピラミッドが象徴する様に冷酷無比な征服活動を行う一方で、学芸と経済の価値を理解し、破壊と殺戮の最中であろうと職人や技術者、学者、芸術家を手に掛ける事はありませんでした。建築、詩歌、歴史、数学、法学、医学など様々に関心を示し、読み書きは出来ぬものの、その陣営には常に書籍の”読み手”がおり、当時随一の歴史家イブン・ハルドゥーンとの会談など、その知性と教養には面会者の誰もが目を瞠ったのだとか。遠征中の情け容赦ない破壊とは裏腹に王朝の首都サマルカンドには優美なモスクや庭園が築かれ、世界一美しい”青の都”として知られております。またティムールの軍勢は弓騎兵や重装備の騎兵など様々な騎兵に加え、火砲などの最新技術や、工兵が編成され、イズミル(トルコの都市)攻略に見られる様に高度な攻城技術さえ有していたそうです。ティムールの棺には墓を暴いた者に大きな災いが降りかかる、と刻まれており、1941年にソ連の調査団が棺を開いた数日後、人類史上最大規模の戦い、独ソ戦の火蓋が切られました。――次回、ティムール戦記、第22話、死闘!アンカラの戦い、世界をその手に!
2013-03-09 17:47:27 +0000