宇喜多氏の客将であったが、お家騒動で多くの重臣が出奔すると執政になった。熱心なクリスチャンでもあり、洗礼名はジョバンニ・ジュスト。キリシタンの戒律により自害はできず、関ヶ原の戦いで敗走し行方をくらました後、大阪の陣にて再び歴史の表舞台に立つもこの戦で生死不明となる。 戦後、彼の生存の風説を聞き恐れた徳川家は全国で『明石狩り』を行ったという。
2012-09-20 23:21:10 +0000