防空駆逐艦「涼月」は秋月型駆逐艦の三番艦で、度重なる被雷を乗り越え昭和20年、戦艦大和と共に天一号作戦に参加します。ここから先が涼月の執念といいますか、艦橋付近への命中弾により海図は全て焼失、ジャイロコンパスと通信機器も破壊されてしまい、さらに浸水による艦首の沈下がひどく、後進でないと進めない状況に。それでも乗組員は記憶を頼りに日本地図を作成。わずか9ノットの速力で進んで(退いて?)本土への帰投を試みます。そして出港から約一日半後。偶然味方機に発見され、奇跡的に佐世保港への帰還を果たしました。涼月は大破した前方区画において、「区画内部から」防水処置がなされていたために浮力を保っていました。のちにこの区画から酸欠死した三名の遺体が発見され、艦長は「この三人がいなければ皆死んでいた」と言って頭を垂れたと言われています。戦後解体された後も船体は防波堤として使用されました。その後、埋め立てられてその役目を終えるまで、時には航空機、時には暴風雨から祖国を守り続けた武勲艦となっております。
2012-07-31 11:04:29 +0000