*さて、本日の短時間挑戦は飛行物体で御座います。
御覧の通りかなり特徴的な翼を持つレシプロ機。
当然、その角度とバランス取りに手間取り、お時間は17分となりました。
*本日の飛行機はF4Uコルセアで御座います。
愛称でもあるコルセアは海賊の意味で一応艦載機を目指して開発されました。
実は、ここに社名を認めなかったのは、この飛行機の余りに得意な立場に御座います。
1938年にチャンス・ヴォート社が開発を開始したのですがグッドイヤー社とブリュースター社でも作られたのだそうです。
この当時海軍で最大のプロペラをつけた海軍一重たい飛行機。
兎に角特徴的な主翼の形状をしておりますが、逆ガル翼という物なのだそうです。
時速650キロという結構な記録を出すなどなかなかの性能を見せるのですが、やはりその大きなプロペラが徒となり、着艦時にプロペラが破損してしまう危険性や前方視界が不十分などという不具合もあり艦載機として不合格の烙印を押されてしまいます。
艦載機として厳しいという評価を下されると、初期生産分は全て海兵隊へ引き渡され、陸上機として運用される事に。
唯、そこでも又悲惨な運命が。
初陣である対零戦との戦いでセントバレンタインデーの虐殺呼ばれる大敗北を喫してしまう事に。
加速性能は良くとも上昇率は低く、最適上昇速度も232㎞。
ラダーが重く、スピンからの回復が困難等という問題点を持っていたため、性能では勝っているはずの零戦に一方的に虐殺される結果に繋がったようです。
唯、この虐殺もパイロットの技術によるところがかなりであり、太平洋戦争末期などでは当然の様にベテランパイロットも減り、結果的に未熟な零戦乗りばかりに。
こうなると、やはり数値通りの戦力差を見せつける形となり、かなり優勢になっていったのだそうです。
そして、ジェット戦闘機が主流となってくる終戦以降も生産は続けられ、1950年まで生産が続いていたのだとか。
その間、レシプロ爆撃機として使用されていたそうですが、これ迄デメリットでしかなかったその大きさが活きてきたのだとか。
ちなみに、朝鮮戦争当時、米軍初のミグ15の撃墜記録をこのコルセアが持っております。
制作会社が三社もあるだけでなく、何と、それぞれにお名前まで違うという完全に訳の分からない状況になった不遇の戦闘機。
性能的にはかなりの数の派生が生まれる程優秀な設計を見せた物の、軍用機の命名規則という決まり事のために、何と修理現場でさえも混乱を余儀なくされる事さえ有ったのだとか。
F4U、FG、F3A、AUといった風に、もう既に一機の戦闘機に着ける型番とは思えないむちゃくちゃぶりで御座いました。
F4といえばF4F、ワイルドキャットなどが出てくるのですが、当然別物。
しかし、普通は末尾の文字までは入れず、普通にF4だけで通用するはずでした。
お陰で整備側は部品を用意して居たはずなのに別の飛行機が送られてくるなどと言ったとんでもない事態に陥る羽目に。
ちなみに、日本海軍で箱のコルセアをシコルスキーと呼称していたそうです。
*本日の見学者さんは高性能でありながら、あまりに多岐にわたるお名前を持つ羽目になってしまった飛行機と言う事で謎の子で御座います。
今でもレシプロファンから人気のこの戦闘機。
地方の航空ショー等でゲスト参加する事も間々有るそうです。
そこへ暇つぶしに現れた謎の子。
実体は一つなのに存在証明であるその名を数多持つ羽目になってしまった哀れな飛行機の力強い勇姿に何かしら琴線に触れる物があったのか、そのショーが終わるまでのんびりと併走飛行を行い、やがて又いずことも無く去っていったそうです。
2012-07-21 15:20:32 +0000