東方の輝夜に皇軍の軍服を着せてみました。軍服姿の輝夜って今までの所、たった二人しか描いてないんですよね。それなりに需要はあると思うのですが・・・ ◆後ろは福岡市内の東公園にある、「敵国降伏」で知られる亀山上皇の銅像です。銅像や土台自体が高い上、周りに大きな建物が無いので結構目立ちます。(その度にGHQによく撤去されんやったなと思うのですが) ◆所属部隊は、前回の歩兵第24連隊に続き、これまた地元・福岡の第18「菊」師団は歩兵第百十四連隊です。◆左の軍歌はその連隊歌の、全八節ある歌詞の内の第一節です。その中にもある通り、軍旗拝領は昭和12年なので、絵の様に昭五式軍衣を着用していたのはたった一年だけだったんですけれどもね。 ◆連隊は編成完結後ただちに杭州作戦、続いてマレー作戦に参加。菊師団の名に恥じぬ勇戦を続けました。 ◆一方、1944年のビルマのミートキーナ攻防戦では苦戦を強いられます。司令部の辻政信からは、「全力で死守せよ」との命令が出されますが、空挺部隊を中心とした連合国軍に包囲され、食料や弾薬は底を尽きます。連隊長の丸山房安大佐も負傷し、兵の士気はほぼどん底状態でした。第56師団から増援部隊を率いてかけつけた水上源蔵少将はこれを見かね、8月4日未明、独断で守備隊の残存兵力を全て撤退させます。そして彼らが川から筏で脱出するのを見届けた後、水上少将は「小官ノ指揮未熟ニシテ遂ニ「ミイトキーナ」ヲ確保スル能ハス。最後ノ段階ニ達シタルヲ深クオ詫ヒ申上ク」と自ら全責任を負って拳銃で自決したそうです。一方、玉砕と言う最悪の状況を免れた彼らは、その後無事終戦を迎えました。(最も、ミートキーナからの撤退の際そこにいた慰安婦たちは皆置き去りにされたという事もまた事実なのですが・・・) ◆今我々は豊かな生活を送っていますが、それらは皆、祖国の為散っていった名も無き将兵たちの犠牲の上に成り立っているという事を、我々は決して忘れてはいけません。◆第百十四連隊と水上少将の詳細は、ウィキで僕も編集に参加しておりますので、大変見苦しい駄文ですがどうぞご覧になって下さい。◆っておいちょ待てぇええい!誰や「石馬戒厳」なんてタグ付けたんは!いっちょん関係ないやんか(笑)◆あ、本当だ、このキャラ知らなかったんですけど確かに似てますね。もしかしてみんなが軍服輝夜描かん理由ってそげな事やったとですか!?
2012-03-20 16:43:13 +0000