島津義弘(1535~1619)「鬼島津」であったり、「薩摩に馬鹿殿無し」であったりと島津義弘に関する記述は合戦に明け暮れる猛将であり、また先見力のある知将であるとされている。その人物像を垣間見るエピソードは数あれど、中でも関が原の合戦での「敵陣突破の逃走」は有名で、これは悉く散った西軍の残党が島津500人足らずとなった折、全軍が一丸となって突撃したというものだ。玉砕覚悟の無謀な作戦と思うや否や、敵前で突如進路を切り返し逃走、しかも追撃に掛かった家康勢に銃を向けていたという。絵は知的肉体派なおねぇさんをイメージ。
2007-12-16 12:02:35 +0000