●資本主義は封建主義の、

おまんじゅう

グローバル資本主義は帝国主義の一変容に過ぎない。
表向きが変わっただけ。看板が掛け替わっただけ。
封建主義は古くさく、社会主義は失敗だった。なんて偉そうに結果論で分かり切ったことを
我々は言ってるけれど、資本主義だってしょせん他に代わりが無いから
否応なしに選ばされているに過ぎない。
100年後の人間は今の我々と同じように、知った風に
「資本主義は失敗だった」なんて平然と言っている。
資本主義を信奉するのは結構だけど、我々が彼らを馬鹿にしてるように、
我々も誰かに馬鹿にされる日が来ることを忘れてはならない。
●「外」に本当の意味での「敵」を見出せなくなった現代。
新たな価値観を創出できず、結局旧来と同じように「敵」を作ることでしか
自らの存在を定義できなかった我々の攻撃は、今度は必然的に「内」へと向かった。
今の我々は自らの足を食って生きているタコと同類である。
●人類という群れ、国家という群れ、社会という群れ、家族という群れ。
「群れ」とは本来的にも本質的にも「仲間」という事であったはずである。
しかし、今はお互いにいがみ合い、たたき合い、つぶし合っている。
●戦争なんて起きなくても、今まさにある一個人の人間は、ただ自己が生き残りたいという、
その願望欲求の為だけに、「群れ」の仲間であるはずの
他の人間でさえも平然と食らい殺そうと言うのだ。
結局自分自身もその「群れ」に守られているだけの
一個人に過ぎない、なんて思いもよらないまま。
●「勝ったもの」は決して偉くも格好良くも無い。ただ訳も分からずレールの上で
競わされて、他人をけ落としてそこにいる。
ただそれだけ。彼らは競争しなければ勝ち方すら知らないのだ。
●自然界にその競争原理の例えを求める者もいる。
しかし我々はサバンナのライオンでもなければ猿山の猿でもない。我々は人間だ。
●一個人を取り上げてその視野が狭いと責めるのは簡単である。
だがこれは現代の構造そのもの、つまる所
「我々」にとってより良く生きられる為の社会を「我々」が築いてこなかった。
そこにこそ問題の根源があるのではないか。
「なんで人間同士で争い合うんだ」なんて簡単な問いにすら答えを出してこなかった。
そして「競争」を前提とした安直な社会構造の道を選んでしまった。
今我々はそのツケを払わされている。だからこそ今、考えそして変わらなければならない。

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2012-01-14 16:18:57 +0000