津田監物

晦 トオジ

つだ けんもつ。正確には 津田監物算長(つだ けんもつ かずなが)■紀伊国は岩出の僧兵集団、根来衆の長。自ら種子島に渡り、火縄銃を職人に作らせるためのサンプルを手にいれ、日本で初めての鉄砲量産に貢献した。また、自身も日本初の砲術、津田流砲術の祖とし、根来衆の兵力を増大させるに至る。舞台となる1570年にはすでに他界しているが、息子である津田算正が監物の名を襲名し、石山本願寺の戦の折、信長側に加担している。■せっかくなので、自分の出身地からの武将を。本人含め、親類にも謎がある人のようで、色々な俗説が存在しているようですな。地元の武将って雑賀孫一しかしらなかったんですが、今回色々調べらて、けっこう新鮮でした。…もうちょっと見る人を魅了するような絵を描けるようになりたいなぁ。

#戦国大戦カードイラストコンテスト2

2011-07-19 14:12:54 +0000