いつの間にやらゲームというものは天使を召喚する機能がついていたらしい。自前のPSP(シルバー)には、間違いなく0と1とで描かれる天使が存在していた。シュタゲを買うひとつのきっかけになったフェイリス・ニャンニャン。フェイリス。最初デザインを見たときは、猫耳とメイドなどという愚劣な発想に頭が痛くなったものだ。まるで料理に蜂蜜の例のアレ。メイドは素晴らしい、猫耳もすばらしい。しかし、どちらも素晴らしいからといって人はそれを合わせるべきだろうか? どちらも優れていたとして、風情溢れる枯山水の庭に、近代芸術のモニュメントを置くだろうか? そのような成金主義の浅ましさは唾棄すべきものである。引き算の美、そして統合の取れた完璧さ……優れたものはあわせる必要はないのである。猫耳メイドにはパラドックスが存在する。メイドのオキテは三つある。「1.忠実であれ」「2.健気であれ」「3.勤勉であれ」これに異論をもつ「ご主人様」はいないであろう。猫キャラのタブーは三つある。「1.忠実であってはならない」「2.健気であってはならない」「3.勤勉であってはならない」これに異論のある猫好きも居ないのではないか。メイドは勤勉で清潔なものであり、猫は高慢で不貞なものである。メイドは奉仕し主人を導く整然とした存在であり、猫は淫靡で背徳感のあるものである。 故に、猫耳メイドなどというキメラはあってはならない。 ――少なくとも、2日前まで筆者はそう思っていた。シュタインズ・ゲートをプレイし、今だ6時間ほどしか読み進められていない現在だが、この意見を自ら否定することになっている。それほど、フェイリス・ニャンニャンは愛らしかったのだ。猫耳でありながら敏腕のメイドであり、メイドでありながら小悪魔な猫である。相反した要素を詰め込みながらも、なぜこの天使は愛らしいのか? そのなかで導き出せる仮説が「女子高生」という一つの属性である。女子高生+猫耳。なんら不自然ではない。女子高生+メイド喫茶。不自然ではない。つまり、この女子高生がバラバラである猫耳とメイドを結びつけ、フェイリスという天使を歪める事無く構成しているのである。また「バイト」や「ウェイトレス」という言葉を使うことでより解りやすく表現することもできる、彼女が天使だと。猫耳メイドの女子高生ウェイトレス・フェイリスが天使であることを表現するには、余白が足りなすぎる。
2011-06-26 09:03:11 +0000