札幌の奥座敷へ

うきは

今日も重箱の隅をツンツン突付くよ!

そのむかし、札幌の近郊を直流電化の私鉄電車が走っていた
市街地から南西に30キロほど、近郊では有数な温泉地だった定山渓温泉まで湯治客、行楽客を運んでいた
北海道の鉄道はその殆どが運炭などの産業に依存した企業敷設の鉄道だった
市電などを除くと多くが非電化で、行楽輸送を主眼に置いた電化私鉄はこの定山渓鉄道が最初で最後であると言える
起点は札幌市内の豊平、北に支線が延びていて東札幌で国鉄に繋がっていた
列車は大半が札幌から定山渓まで直通運転されていたが、国鉄は非電化だったために乗り入れには専用のディーゼルカーが使用された
このディーゼルカーは定山渓線内では電車に牽引されるという珍しい運転形態だった

1964年、定山渓最後の新車としてデビューしたのがイラストの2301と2302の2両だった
新車とはいえ、機器類は旧型車からの流用で、車体のみ鋼製の新車だった
東急車輛で製造され、当時作られていた東急7000系の面影がある
2ドアで側窓は固定の羽目殺し空調は屋根上のベンチレーターのみで、
幾ら冷涼な北海道とはいえ、夏場は蒸し風呂状態になったという
メーカーもユーザーも最初から車内換気に無理があることは承知しており、
デビュー当初から「エチケット袋」が常備されていたと言う逸話が残っている
ゲ○電なんていうありがたくないあだ名まで頂戴した本車だが、5年ほどの使用で路線自体が廃止されてしまい、譲渡先も無かったためかそのまま廃車解体されている

晩年の定山渓鉄道では鉄道と平行して、札幌駅から定山渓温泉へ30分間隔でバスを運行しており、
会社側が既に鉄道輸送に殆ど依存していなかったことがわかる
廃止後、札幌側の路線敷きの一部は市に買い上げられ、地下鉄南北線の用地に転換されている
一時期、東急が資本参加し定山渓鉄道、夕張鉄道などを連絡させて道央に一大私鉄ネットワークを構築しようとしていた
その折には、札幌中心部への乗り入れと共に、複線高速化も計画されていたが、採算のとれる目処が立たないとしてこの計画はご破算になった
東急の計画がご破算になったから、というだけの理由ではないが、定山渓は鉄道部門を廃止し、いまでも「じょうてつ」としてバス事業で活躍している
「じょうてつ」が「定山渓鉄道」の名残であることも忘れられようとしている
もし、市内中心部への自社路線での乗り入れ、高速複線化がなされていたら、
いまも都市近郊鉄道として通勤通学にレジャーにと活躍していただろう
この2301もカルダンドライブ化、冷房改造されて活躍していたかもしれない

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2011-06-06 07:07:33 +0000