【DA】『泡恋』【最終章】

ひひまる

生物の生存すら難しい超深海には、無数の鉄の残骸が漂っている。
全ての命が押し潰されるはずの死海にはまだ到達し得ないというのに、一筋の光も差し込まないこの海域はすでに死の匂いで満ちているようだった。
前方のライトのみを頼りに潜水してきたマリンリングは、戦線の過ぎ去った骸の隙間を縫うようにして進んでいた。

「———アイラちゃん、うまくいきそう?」

慎重にマリンリングの操縦桿を握るナンシーは、ホタルに見守られながら基盤に直結させたデバイスを操作する人魚の少女にそう尋ねた。

「うん……カガセヲのジャミング波は、センサーに特定のフィルターをかければ逆に発信機みたいに機能するんよ。だからこの子のプログラムに手を加えれば———よし、これでイケるわ!」

アイラが最後の仕上げとばかりにデバイスの画面を軽快にタップさせると、モニターに新たなウインドウが展開される。
表示されたのは、見慣れない周波を計測するソナー画面。
おそらく海賊団でのみ使用されていた特殊なシステムなのだろう。

「……アイラ。ひとつ、聞かせて……」

ここまで口を閉ざしていたエリカが、不意にそう言った。

「せん——————その、オルカって人は……どんな人なの……?」

「——————」

その言葉に生唾を飲み込んだのは、きっとナンシーだけでなくホタルも同じだろう。
フューチャー・ポリスでもまだ公にはされていないが、生徒たちからの噂はすでに学園中に回りきっている。
海中海賊の『死神』オルカの、その正体———それが、自分たちとは縁のある人物であるということが。

「……お兄ちゃんは、うちの恩人なんよ」

アイラは支給された制服の胸元に手を添え、語り出した。
懐かしそうに頬を赤ながら、しかしどこか寂しそうにその目は伏せられる。

「お父ちゃんに借金のカタとして奴隷商に売られたうちを助けてくれて、居場所と仕事をくれた……今のうちがあるのは、全部お兄ちゃんのおかげや。それに、うちのことをちゃんと褒めてくれる。大切にしてくれてる。ぶっきらぼうで無口やけど……すごく優しくて、めっちゃかっこええの」

ああ、そうだ。自分たちも知っている。
困っている人には手を差し伸べる、お人好しな彼女の姿を。少し不器用でそれでも面倒見のいい、あの笑顔を。

「……でもな、うちはお兄ちゃんのことなんも知らんのよ。なんで海賊にいるのか、なんでコーラルが嫌いなのかも、なーんも知らん……」

自分たちだってそうだ。知らなかった、気づけなかった。
彼女がどんな思いであの場所にいたのか、考えたこともなかった。
当然といえばそれでおしまいにできる。しかし、それだけで片付けられるほどナンシーという少女はまだ大人ではない。

「……でも、それでもええの。だって、うちは———うちはお兄ちゃんのことが……」

アイラの手が制服の布地を握りかけたとき、広域展開させていたセンサーが何かを捉えた反応音を鳴らした。

「ジャミングウェーブの反応をキャッチ! 距離は———そこまで遠くない、ナンシーちゃん……!」

「……っ、了解!」

ホタルから送信された座標と進路図を頼りに、ナンシーは操縦桿を傾け速度を上げる。
その先に待つのが何であろうと受け止めるための覚悟を持たせるように、その手には自然と力がこもっていた。

◇◆

「……嘘」

ナンシーの空虚な呟きが、マリンリングのコックピットで静かにこだまする。
波に乗ることもなくその場に留まるのは、巨大なエネミーウォッシュの骸。
レブンエカシと呼ばれていた鉄の巨獣の亡骸は、見てみれば黒い鉄の塊をその触手に絡め取ったまま沈黙していた。
それは、漆黒に塗りつぶされたPDの右腕———大鎌を握りしめたままのカガセヲの腕であった。
その隙間に挟まるようにあるのは、同じく漆黒——————無惨にも大破した、カガセヲのコックピットブロックである。
この海域でコックピットから弾き出された人間は、たとえダイブアーマーを着込んでいようともわずか数十秒でその水圧によって跡形もなく押し潰されてしまう。
そして、この状況が意味することは、ひとつしかなかった。

「……嫌い——————」

不意に、そんな言葉が耳に届いた。

「——————嫌い……きらい、きらいきらいきらい!……大っ嫌いや‼︎ あんな、あんな勝手なヤツ‼︎」

アイラの手から投げつけられたデバイスが合金の壁に直撃し音が反響する。
それでも、彼女の昂りは収まりはしないようだった。

「勝手に人のこと助けて、中途半端に優しくして、黙っていなくなって、そんでほったらかしにしてたと思ったら……今度はこれかい! ええ加減にしやんよ! あんなの、こっちから願い下げや‼︎ 唐変木! 朴念仁! 根暗! 厨二病! 仮面もシュミ悪いねん‼︎」

喚きながら、壁を殴りつける。
怒りにまかせた拳が鉄を殴る痛みが音と共に伝わってくる。

「ほんま、ほんまにアイツは……アイツなんか——————‼︎」

しかし、その音もだんだんと弱々しくなっていく。
ついには、アイラはその場に項垂れうずくまってしまった。

「——————初恋、だったのに……」

啜り泣く声が、そう言った。

「——————本当の、本当に……好き……大好き、だったのに……こんな……こんなのって……‼︎」

泣き出した人魚の声は、数多の命が散った暗い海の中で非情にも消えていった。

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2024-12-17 03:21:33 +0000