左大将の武弁朝服

貞正

左近衛大将の朝服。

武弁、平巾幘、金鐺麟徵、貂尾〈左珥〉
絳紗單衣、皂縁
白紗中單、皂縁
絳紗蔽膝
素大帶
水蒼玉佩(模様が水波の形に似ている青玉)一旒
紫綬、三采(紫・黃・赤)大綬一条、小綬一条
金裝毛抜形太刀(横刀)
金の石帶
白裙襦
烏皮舄

親王の朝服に似ていますが、「武弁」という冠をかぶっています。

武弁はもともと秦漢の時代に成立された武人が使用していた頭巾で、長い進化を経て外部はこの絵のような形になり、烏紗でできていました。内部では「平巾幘」が着用されており、「笄導」「冠支」で頭に固定されています。

唐代の制度では、皇帝の侍従も使用していましたが、簡素化を考慮して、私の服装制度の設定では武官のみが使用します。

「養老衣服令」に定められた武官礼服に使われている皂羅冠も、この「武弁」である可能性が高い。平安時代以前の皂羅冠の姿は全く確定できませんが、江戸時代に復元された武官礼服冠は武弁の形をしていますが、宋代の「武弁」の形を採っており、この絵の姿とはほとんど異なります。

私の服装制度の設定によれば、六衛府次官以上(次将・督・佐)の武官は、冠の前には圭形の「金鐺」という装飾が施され、鐺の中には獣形が彫られている。(ここは麒麟)

武弁の左側の突き出た毛は「貂尾」で、中国の鐺は主に蝉の模様で、これを合称して貂蝉と呼びます。これが「三国演義」の貂蝉の名前の由来です。右の衛府は貂尾が右を向き、左の衛府は左を向いています。

武官は横刀、三位以上公卿と皇族は飾太刀、五位以上は細太刀を着用する。ここで横刀の代わりに、毛抜形太刀を使うのが私の慣例です。

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2024-11-26 05:19:42 +0000