滝川ジン:
みなさんは、普段、
身近な人とのコミュニケーション、
どうやってとっていますか?
自分の思いを絵にして相手に渡す、
自分の思いを曲にして相手に渡す、
パントマイムで体の動きで伝える、
それを日常的にやってる人はいないと思います。
ボディタッチ、アイコンタクト、
などもあるかもしれませんが、
メインは「言葉」でしょう。
なぜ「言葉」で伝えるのでしょう?
それは「言葉」の伝達可能な情報量が
圧倒的に大きいからです。
絵や音、体の動きで伝えられる情報量は、
言葉に比べて非常に限定的です。
「言葉では説明できない、見てもらえばわかる」
というセリフ、
日常、映画などで聞いたことがあると思います。
これは言葉の情報伝達が劣っているのではなく、
「その状況を言語化出来ない」という状況です。
状況があまりにも非現実的で、
伝達者の語彙力の限界を超えてしまったため、
「言葉」の本来の情報伝達性能を発揮できない、
ということ。
さて、もう少し別の例でお話をしましょう。
J-POPが心に響くのは曲だけではなく、
歌詞があるからです。
英語が苦手な人が洋楽を聴いても、
曲としての良さを超えた情報を得られないし、
声楽なしのクラシックでは、
作曲家の思いを全て受け取ることは困難です。
ごく稀に近年でも無言映画が作られますが、
挑戦的な実験作で、一般的ではありません。
動きのある映像でも情報を伝えきれないので、
一般的な映画は、多くのセリフを使います。
マンガももちろんそう。
これらは「言葉」の圧倒的な情報伝達力を示しています。
つまり映像や曲は単独では説明力が非常に弱い。
言葉で補ってあげることで、生きるものなのです。
ところが「言葉」の力に頼りすぎると、
じゃぁ、映像はいらないんじゃ?
じゃぁ、曲はいらないんじゃ?
という状況になります。
「説明クサいセリフだな」と思ったら、その状況です。
イラスト部門でも丁寧なキャプションが必要、
でもキャプションだけに頼ってはいけない、
絵とキャプションが高め合わないといけない。
滝川ジンはそう考えています。
………
滝川ジン:
上の長文の「言葉」を「視覚」と置き換え、
映像や曲を嗅覚、聴覚などに置き換えると、
ほぼ同じような理論展開が出来ます。
視覚で得られる情報量も、嗅覚、聴覚を凌駕します。
なのでセクシャルな状況でも、まずは「視る」わけです。
そして嗅ぎ、聴き、触れます。
そしてそれらが相補した時、興奮が跳ね上がります。
2024-11-09 02:44:24 +0000