私はいま、少し曇りがかった街角のカフェに立っている。手にはあたたかいカフェラテが入った紙カップ。ふんわりとしたコーヒーの香りが鼻先をくすぐるのが心地よくて、つい笑顔になってしまう。この場所には、私の密かな楽しみが詰まっているのだ。
私の名前は沙耶(さや)。ブラウンがかったセミロングの髪が肩にふわりと広がるこの髪色が気に入っている。私の目は明るい茶色で、日に当たるとほんのりと輝きを増す。お気に入りのレザージャケットは深いブラウンで、少し冷たい風から私を守ってくれる大切な相棒だ。黒のタートルネックのセーターを合わせたシンプルなスタイルは、どこか都会的でありながら落ち着きも感じさせる。背景に広がるのは、古びたレンガ造りの建物。温かな色合いの街並みがやわらかい秋の日差しに照らされて、全体が少しセピア色に染まっている。
そんな場所でのんびりとコーヒーを飲む私だが、実はここに来るのはある目的があるからなのだ。その目的というのが、このカフェに週末だけ現れるという「彼」との小さな約束。約束といっても、会話を交わしたことは一度もない。むしろ彼の顔さえ知らないのだ。
彼の名前は謙吾(けんご)といい、毎週末このカフェに来て、必ずコーヒーを片手に、窓際の席で何かをノートに書き込んでいるらしい。私は、ただ彼の様子を見ているだけで満足しているつもりだったのだが、少しずつ興味が湧いてきてしまった。そして今日、勇気を出して彼に話しかけてみようと決意したのだ。
カフェのドアが開くたびに、ちらりとその方向を見てしまう。あ、違う。入ってきたのは若いカップルだった。ドアが閉まる音とともに、心の中の小さな鼓動も静かに収まる。どんな顔をしている人なんだろう?年齢は?背丈は?あれこれと想像が膨らむ。なんだか妙にワクワクしてしまっている自分が、少しおかしい。
しばらく待っていると、ついに謙吾が姿を現した。高めの背と少し肩幅の広い、落ち着いた雰囲気のある男性が、店の奥へ向かって歩いていく。彼が座るのは、いつも決まっている窓際の席。私はそっと後を追い、すこし離れた席に腰を下ろす。彼は私に気づく様子もなく、いつものようにノートを開き、ペンを走らせ始める。視線は真剣そのものだ。
「話しかけてみる?」自分にそう問いかけながらも、体はすでに立ち上がっていた。私は意を決して、彼の席に歩み寄り、小さな声で声をかける。
「こんにちは、ここでよく見かけますよね?」
彼は驚いたように顔を上げると、少し戸惑いながらも穏やかに微笑んでくれた。その笑顔が意外にも優しくて、私はほっとした。彼は私に気さくに「どうも」と返し、話しかけたことを喜んでいるようだった。
「いつも何か書いているみたいですけど、何を書いているんですか?」と尋ねると、彼は少し恥ずかしそうに笑った。
「小説みたいなものです。まだ誰にも見せたことがないんですけど、ここに来るとなんだか集中できる気がして」
その言葉に、私はなんだか親近感を覚えた。誰にも見せたことのない秘密を打ち明けるときの、あの少しだけ恥ずかしくて温かい気持ち。それを彼も感じているのかと思うと、私の心が少しだけ温かくなった。
「私も、ここでコーヒーを飲むのが日課みたいなものなんです。ここって、なんだか落ち着くんですよね」と返すと、彼は同意するようにうなずいた。私たちは、それから他愛のない話を続けた。趣味や好きな本、音楽のこと。まるで何年も前から知り合いだったかのように、自然と会話が弾んでいく。
ふと気づくと、夕方の淡い陽射しがカフェの窓から差し込み、私たちを包み込んでいた。レンガ造りの建物に反射する光がやわらかく揺らめき、店内はまるで映画のワンシーンのような温かい雰囲気に包まれている。
謙吾がふと黙り込み、私の方をじっと見つめる。「沙耶さん、もしよかったら、今度ここで僕の書いたものを読んでくれませんか?」その言葉に私は少し驚いたが、すぐに微笑んで頷いた。
「もちろん、楽しみにしてます」
私たちの間には、いつもと同じ温かいコーヒーの香りと、少しだけ特別な空気が流れていた。
2024-11-06 13:06:39 +0000