北条氏綱が扇ヶ谷上杉氏の葛西城を攻め落とします。
太日川(江戸川)の西岸にあり下総国への入口に位置し、
川を挟み対岸の小金の目前に迫りました。葛西は水運、
交通の要で港があり古河公方のお膝元の関宿との船便が
確認されています。
この時、足利義明が守勢の扇谷上杉家を支援した事から、
北条氏綱と義明の対立は避けられない事態になります。
古河公方は小弓公方や山内上杉家との対抗上、
氏綱と同盟を結び、この動きに千葉氏のグループも
小弓公方から再び離反し、合流しました。
一方、里見義堯はこの機会に北条氏とは決別し、
真里谷氏らと共に義明方につき旗色が決まります。
太日川(江戸川)を挟み対峙したこの戦いは、当初
足利義明側が優勢だったが、次第に数で勝る北条に戦況
が傾きます。嫡男と弟が討ち取られた、という報告を
聞いた小弓公方が激怒し、敵陣に先頭を切って突撃し
矢を受けて戦死した。と記されています。
里見義堯はこの時、進言が却下され勝利が見えなかった
為ほとんど動かず、真里谷氏の空白地帯を切り取る方向
にスイッチしたのでほぼ無傷でした。
北条氏綱の大勝利に終わり、その勢力が下総国にまで
及ぶ事になります。
千葉家は重臣の原氏の小弓城を18年ぶりに奪還し、
里見義堯は味方側であった下総や上総に積極的に進出し、
上総の久留里城を本拠として、最盛期を築き上げます。
2024-10-28 13:18:30 +0000