#17小弓公方 足利義明

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鎌倉府とは室町幕府下で関東を管轄する出張機関です。
足利尊氏の次男基氏を始祖とし代々世襲する、関東武士を
管理する為に置いた、副将軍とも言える立場となります。

鎌倉公方(鎌倉殿)とは通称で、鎌倉殿の役職名のことを
関東管領と言いましたが、いつしか鎌倉殿は鎌倉公方と、
執事筆頭の山内上杉氏が関東管領と呼ばれる様になった。

鎌倉公方は過去に内戦の為、鎌倉を追われ下野国の古河に
移りその後、古河公方と呼ばれるようになりました。

足利義明は古河公方・足利政氏の子で、早くから僧籍に
入っていましたが、父と兄・高基が対立すると還俗し、
足利義明と名乗り、上総国の戦国大名・真理谷氏の支援の
元立ち上がります。千葉氏家臣の小弓城に攻撃を仕掛け
打ち破ると、ここを占拠し「小弓公方」と名乗り古河公方
と対立していました。

義明は庇護者である真理谷氏と対外政策で険悪になると、
真理谷信清の死去の後、家督争いの内紛に介入しました。

北条氏綱が河越城を攻め落とし、更に勢力を拡大します。
北条氏の狙いはあくまで扇ヶ谷上杉家だったようで、
この頃までの足利義明は北条氏とゆるく協力関係にあった
ようですが、対古河公方で扇ヶ谷上杉とも協調している。

北条の方も両上杉とは対立しましたが、真理谷氏を筆頭に
した千葉氏や里見氏など小弓公方傘下のグループとも
古河公方とも、付かず離れずの関係だったようです。

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2024-10-25 15:03:39 +0000