相模•伊豆国の戦国大名、北条氏綱の娘。
北条氏康、為昌、氏尭らは兄弟になります。
彼女が嫁いだ北条綱成は、今川家の後継者争いの戦いで
敗れた、高天神城主・福島正成の子という説が有力です。
綱成は父親が玄広恵探#13 を支持し戦いで討たれた為に
小田原へ落ち延び、北条氏綱の保護を受けたとされます。
氏綱はこの他国から来た聡明な青年を非常に気に入り、
娘を娶らせ北条一門に加えた上に、北条姓まで与えた。
綱成という名乗りは氏綱と父•正成から取ったとされます。
武勇に優れ常に北条の先鋒として無類の強さを見せつけ
転戦したので北条五色備のイエローこと、綱成の名声は
各地に轟きました。
同い年の北条家嫡男・氏康からの信頼も厚く、名代と
して外交や軍事の全権を与えられることもありました。
鎌倉防衛の重要拠点である玉縄城に氏康の弟・為昌が
入ると綱成は大道寺盛昌などと補佐に当たっています。
北条氏にとって軍事的脅威であり続けた上杉朝興が急逝し
幼少の朝定が扇ヶ谷上杉家の家督を継承します。
混乱に乗じて、氏綱は兵を扇谷上杉家の本拠である
武蔵国•河越城に向けて進軍しこれを攻め落としました。
河越城は武蔵野台地の北端の丘陵に位置した自然の要害で
東方の低地を一望できる、軍事面で最重要拠点でした。
上杉朝定は敗走し、以降は家臣の松山城を拠点とします。
北条氏が河越城を落とし拡大すると、関東の勢力は脅威を
感じ北条氏綱を本格的に警戒するようになります。
2024-10-24 16:08:57 +0000