上田から別所温泉を結んでいる上田電鉄はかつては上田地方広域に鉄道、バス路線を展開していた上田交通の一部であった
上田駅を中心に別所温泉。丸子、真田、傍陽へと路線を展開していたが、
貨物輸送のトラック化、乗客減により、最後に残ったのは別所線だけであった
もともと、複数の鉄道が合併して上田交通になったもので、その前は上田丸子電鉄といった
モハ4257は北東線(後の真田傍陽線用 ※傍陽=「そえひ」と読む)に富士山麓のモハ501の車体と国電の台車を組み合わせて製造された750vと1500v両用の複電圧車である
当時、ひとつの会社であったが、もともとがばらばらな会社であったために、丸子線、北東線、川西線共にそれぞれが独自に車両を有し、また廃線と時にはそれらの車両は路線と運命を共にしていた
そんな中にあり、このモハ4257だけは複電圧車という事もあり、北東線廃止後は別所線に移り1983年まで使用されていた
いわゆる有名な「丸窓電車」ではないが、出自が出自だけに貴重な1両であることには変わりない
幸運なことに、同車は廃車後に富士急行に返還され、富士山麓時代の姿に復元された上で河口湖駅前に保存されている
現在はやや明るめのこげ茶一色に塗られ、おへそライトになっているが、個人的には上田時代の姿が好きである
上田交通には雑多車両が多々あり、出自も様々な車両が一緒に活躍していたが、相次ぐ路線廃止と近代化で当時を偲ぶものは少ない
近年宅地開発が進んで廃線跡もだいぶ整地されてしまったようだ
北東線現役時代には訪れることが出来なかったが、15年程前に旧傍陽駅を訪れたことがある
バスの待合室として利用されていたが、ホームもそのまま残り、線路を敷けば往時の姿そのものだった
モダンで味のある駅舎だったが、老朽化により取り壊されて現存していない。痕跡は少しずつ、確実に消えている
上田電鉄では丸窓電車を復活させ動態保存させたい計画があるそうだが、
技術的にも金銭的にもなかなか難しいようだ
それでも、いつの日にか再び塩田平に釣り掛け電車の響きが戻ってくることを願ってやまない
2010-08-04 13:17:33 +0000