高国の娘で但馬国の大名・山名佑豊の弟の豊定に嫁ぐ。
彼女の兄姉には細川植国、#1北畠晴具の室などがいる。
高国の養子の氏綱や、親子程年の離れた高国の弟・晴国
なども歳が近く兄弟同然に育ったと思われます。
三好元長派だった波多野氏や、晴元へ恨みを持つ勢力に
担がれた細川晴国が挙兵し一向一揆の反撃が開始すると
晴元がいた堺は陥落し、晴元は淡路へ亡命しました。
しかし、それも法華宗を率いた木沢長政に打ち破られ
再上陸した晴元は、摂津池田城に入り巻き返します。
将軍足利義晴から本願寺は討伐令を出され幕敵認定
されることになり、戦況は一進一退します。
この時、3歳年上の氏綱は 挙兵した晴国と連携する様子
はありませんでした。高国の嫡子の植国は早くして
亡くなり、高国が後継者を決めていなかった為、
弟晴国と養子氏綱の二人は微妙な関係だったようです。
彼女が嫁いだ、山名豊定は後に因幡国へと侵攻を進め
兄・佑豊と東因幡の支配を確立したと言われている。
2024-10-14 15:56:47 +0000