この世界線が人気そうなので、分岐の最初から改めて考察して、その過程を上げていくことにする。そうそう、前回はイングランドを書いていなかったね。
732年のトゥール・ポワティエ間の戦いで、カール・マルテルが率いるフランク軍と、アブド・アッラフマーン・アル=ガーフィキー率いるウマイヤ朝軍が衝突し、騎兵中心で構成されるウマイヤ朝軍が勝利。撤退するフランク軍を追いながら、ガーフィキーの軍はアキテーヌの首都ボルドーを陥落させ、その地を中心にガリアの支配が始まることとなった。
ガリアのアミールとしての称号を手に入れたガーフィキーは、741年までにはライン川以西のフランク勢力をことごとく打ち破っていた。これによって大きく弱体化したフランクに対し、かねてからフランクからの独立を目指して動いていたバイエルンは、イタリア半島の統一を求めるランゴバルド、勢力の再建を狙うアヴァールと結託し、宗主国に反旗を翻した。
この謀略は成功し、有力者のいなくなったゲルマニアにてバイエルンは最大勢力として北方への進出を開始。ランゴバルド王国はリウトプランド王の下でローマ包囲を決行し、これを成功させる。また、史実と違い西方からの攻撃を逃れたアヴァールは、南東に位置するブルガリアと競いながら、パンノニアの支配を確立させていく。
あと気になる点があれば、順次コメント?感想?で私に直接質問してくれると嬉しいっすね。
2024-09-17 13:58:44 +0000