史郎がもう限界になってしまい、急遽馬車は、脩が見通したすずらん館というダンスホールに向かい、史郎は脩に支えられながらすずらん館の手洗いに急ぐが、もうすぐというところで我慢ができなくなってしまって失禁をしてしまう。
羞恥とショックで泣き出す史郎を慰めながら、脩は自身の革袋に入っていた雑巾の布で小水で濡れた床を拭き出す
そこに二人の貴婦人が歩いてやってくる。一人は植松トミと言う貴婦人で、史郎と同じ学年の9歳であり、5年後に史郎の妻となる女性である。もう一人はトミの姉で、10も年の離れた女性・セチである。セチはこの度、父親の反対を押し切って信濃境駅前で経営をする川魚料亭のしじみ亭小平屋の長子と夫婦になった。
セチとトミには母がいない。昨年労咳で亡くなったのだ。また二人には兄が一人いたが、この兄もまたコレラに罹って亡くなってしまった。そんな植松家の父は教育委員長を地元で務める者であり、また結核療養棟の入笠荘を経営する腕の立つ医療長であり、またその才能と財力からすずらん館という屋敷をいくつか経営するやり手の男で、伯爵の称号も持っていた。
そんなトミは、失禁した史郎を心配してセチと共に駆け寄る。史郎は女性に見られたことに更にショックで泣き出すが、二人は優しく、家が近くなので、丁度合う着物もあるからと家で着替えさせてくれると、自分たちの家に案内してくれる。
トミの家は、財力と比較すれば随分質素で簡素な作りであり、平民に寄り添って、彼らと肩を並べて生きて行きたいという考えを持つ植松家の想いがよく伝わってきて、史郎はトミにとても親近感が持てたが、やはりトミは史郎の手の届かぬ高貴な女性。恐縮感は拭えない。
しかし心の何処かで史郎は、この清楚で美しい貴婦人のトミに興味を惹かれていた。
実はこの日はこの入笠の富士見集落一帯で「年末恒例の大騒ぎ」というイベントが行われていたのだ。
2024-08-17 15:52:48 +0000