<オリフレ>ビャトカ

小蜂 凉平

『…は、初めまして…『ビャトカ』です…郵便配達をしています…はい…
 わ、私についてですか?…とくに何もないです…
 他の子みたいに美人という訳でもないですし、面白い子とも言えないですし、存在感薄いですし…
 強いて言うなら風邪とかあんまりひかないぐらい…うぅ…自分で言ってて悲しくなってきました…
 とにかく…私に関わっても良い事なんかないんです…ほっといてください…グスン…』
ロシア・キーロフ州原産の馬『ビャトカ』のオリフレです。
ビャトカは馬の品種の中でも古い物の一つとされておりその出自について不明瞭な部分が多いものの、1374年にノブゴロドの住人がビャトカ川流域に入植した際や17世紀にウラル山脈での鉱業が盛んになり始めた頃にバルト海地域から持ち込まれたエストニア・クレッパーにバシキール等の中央アジア系の馬の血統が掛け合わされて生まれた可能性が高いとされています。
機動性と持久力に富み、飼育がしやすく病気に強い事からロシア国内で広く用いられた3頭立ての馬車・馬橇『トロイカ』用の馬として18世紀末辺りまで重宝されていましたがオルロフ・トロッターの様な次世代の品種や海外原産の馬の人気が高まっていき、それらの馬との交配などにより純血性が失われていったため1892年にビャトカ地域の獣医師会議において「ほぼ完全な消滅」が発表されたものの、1900年にM.I.プリドロギン教授が率いる調査隊による実態調査が行われるとビャトカ地域には十分形質を維持したビャトカが残っている事が明らかになり、1918年に全ロシア馬展示会に12頭のビャトカが展示された事で注目を集めました。
その後ロシア内戦によりビャトカの頭数回復の試みは停滞するものの、1930年代後半に具体的な繁殖計画がスタートし、繁殖農場の統合管理や血統書の作成などの試みの成果もあり1000頭近くまで復活しましたが、1950年代になると道路整備とトラックの普及により荷役馬の需要が低下したため、1960年代初頭までに繁殖農場の大半が閉鎖され、限られた数のビャトカが他の馬との血統改良用に残された他は食肉加工場送りになってしまいます。
しかし1970年代半ばにソ連圏内の在来品種の遺伝子プールの枯渇が問題視されるようになり、1980年から1984年にかけて行われたビャトカを含む在来品種の現状調査の結果に基づいた頭数回復を行う提案がロシア・ソビエト社会主義共和国の農業省に持ち込まれ却下されたものの、ビャトカの産地の一つでもあったウドムルト社会主義共和国(現ウドムルト共和国)はビャトカの再繁殖に向けて独自に動き出し、その試みはソ連崩壊後から現在まで続けられていますがその頭数は2016年現在で300頭未満(うち牝馬150頭)とかなり少なく国際連合食料農業機関には「絶滅の危機にある家畜品種」の一つとして認識されています。

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2024-08-17 11:31:23 +0000