<オリフレ>ブジョンノフスカヤ

小蜂 凉平

『我が名は『ブジョンノフスカヤ』!人呼んで『革命的な馬』だ!
 何処が革命的か?ええっとだな…そう!私を形作るものすべてだ!
 冴えわたる知性!揺るがぬ闘志!底知れぬ体力!そして美貌!
 そしてそれらは生きとし生けるもの安寧を守るために費やされるのである!
 さあ同志よ!我に続け!輝かしい未来に向かって前進するのだ!』
ロシア・ロストフ州原産のウマ『ブジョンノフスカヤ』のオリフレです。
ロシア内戦が終結した1920年代初頭のソ連陸軍は第一次世界大戦と内戦によって損耗した騎兵戦力を早急に回復する必要に迫られており、その手段として伝統的に騎兵用の馬として重宝されてきた『ドン』の頭数回復とより能力の高い次世代軍用馬の開発が行われました。
この新しい軍用馬の開発の指揮を執ったのはロシア内戦中に騎兵指揮官として数々の武勲を挙げたセミョン・M・ブジョンヌイで、ロストフ州に作られた彼の名前が付けられた『ブジョンヌイ種馬農場』と彼が指揮した第一騎兵軍の名前を冠した『第一騎兵軍種馬農場』がその舞台となった事から開発中の軍用馬は「ブジョンノフスカヤ・ロシュカ(ブジョンヌイ馬)」と呼ばれるようになりました。
ベースとして選ばれたのは軍用馬として定評のある『ドン』で当初はカザフやキルギスといった中央アジア系の馬との交配を進めましたが馬体のバランスに問題がある事から断念し、サラブレッドの牡馬にドンやチェルノモールの牝馬を交配させる方向に切り替えられました。
しかし内戦の後遺症や1941年にドイツがソ連侵攻を開始し、種馬農場のあるロストフ州に迫ってきた事際に馬の疎開を余儀なくされた事からブジョンノフスカヤの品種改良のペースは非常に遅く、ソ連閣僚評議会によって正式な品種として認定されたのは終戦後の1948年11月15日になりました。
1950年代にソ連軍が騎兵を全廃したため品種化後に軍馬としての活躍は殆ど出来なかったものの、入れ替わるようにソ連国内外で馬術競技が盛んになった事からスポーツ競技用の馬として転向する事になりますが、ドンから引き継いだ高い持久力と騎兵に求められる高い敏捷性とジャンプ力、そして戦場で晒されるであろう銃声や戦車などの発する機械音にも臆さない胆力はスポーツの世界においても魅力的である事からブジョンノフスカヤは現在もロシア国内外で高い評価を得ています。

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2024-08-10 15:39:39 +0000