日野 コンテッサ1300

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たとえばこんなカーライフ

日野 コンテッサ1300

 今でこそトラック、バスメーカーとして名を馳せる日野自動車ですが、いすゞ自動車同様かつては乗用車の生産を行なってました。
 戦後フランスのルノーのライセンス生産で自社の生産基盤を築いた日野は、完全オリジナルの自家用車コンテッサの生産を計画します。

 初の独自設計はコンテッサ900(1961)からスタート。
 1964年には4ドアセダン、1965年には2ドアクーペを発売したコンテッサ1300は。ミケロッティによるスタイリッシュなデザインが話題となったのです。
 リアエンジン後輪駆動はグリルレスの独特のプロポーションを生み出して非常にかっこいいですね。

 そんな日野自動車が自社内の乗用車生産で生み出したコンテッサ1300にぴったりなのは!
ズバリ!

人情系プロジェクトリーダー女子です!

 とある離島生まれの彼女は、閉鎖的な村社会の島民としての生涯を嫌い必死に勉強、地元の大学から、希望の都内の商社に就職できました。
 海外からの商材を買い付ける部門の為、得意の外国語のスキルも求められます。
 多くの商談をまとめて来た彼女は、社内での評価も高く、遂に社運を賭けた巨大なプロジェクトのリーダーとして抜擢されたのです。
 彼女は必死に働きプロジェクトは順調です、しかし、社内他部署での幹部の大規模な不正が発覚、連日の報道とマスコミ叩きで社内はすっかり険悪な雰囲気となってしまいました。
 業界大手からの業務提携の話も上がりましたが、現実には吸収合併の傘下企業となるようです。
 彼女のプロジェクトも解体、課員は全てバラバラとなります。
 新体制に賛同出来ず、退社を意識した彼女ですが、完遂間近の、このプロジェクトはなんとしても成功させて有終の美を飾りたいのです。
 ある日、新体制への移行準備で忙しいなか。彼女は全スタッフを前に自分の意思を伝えました。大批判を覚悟していましたが、スタッフ達は一人残らず賛同してくれたのです。残り少ない時間の中、個々の力を最大限活かして、プロジェクトは大成功!みんなの後押しによって、最高の結果を残せた彼女の頬に、ひとしずくの涙が流れたのです。

 そんな彼女の愛車はコンテッサ1300。上京の際島から持ってきた、学生時代からの相棒です。グリルレスのお顔にメッキのライトベゼル、スタイリッシュながらも、何処か優しさを感じられるコンテッサ1300は彼女にぴったりのクルマだと思いませんか?

 日野自動車は、その後トヨタ自動車からの委託生産が始まることになり、1967年で日野ブランドの乗用車コンテッサの生産は終了しました。
 トヨタは同年に発売したカローラを売りたがってましたので少しでもライバルを減らしたかったのでしょうね。
 日野自動車はその後も、トヨタのハイラックスや、FJクルーザーなどのトラックっぽい車を長く委託生産しています。

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2024-07-20 09:23:49 +0000