□□県北部にある比較的真新しいこの木造建造物には、調べてみると中々に歴史深い記録がある。
この奉納殿にまつわる最古の記録は、現存する書物によると1400年代までさかのぼる。
当初は山の神を祭るために建立され、踊りや木の実、作物などを奉納し、豊穣を願う祭事が執り行われていたとある。
次に歴史に登場するのは江戸時代、1800年代頃で、その頃には寺に建て替えられ「階淀寺(かいでんじ)」と呼ばれていたようだ。
寺へと建て替えられた経緯は定かではないが、僻地の木造建造物であれば本格的な防腐処理などもされていなかったであろうから、この時代まで奉納殿が現存していたかは怪しい。
建て替えたというよりも単に跡地を利用したという方が正しいのかもしれない。
しかしこのことが祭られていた山の神の怒りに触れたのか、寺が建てられてから20年ほどで火事になり焼け落ちてしまったという。
その後は再建されることもなく、おおよそ200年近くそのまま放置されていたようだ。
再び奉納殿として再建されたのは近年になってからで、村おこしの一環として焼け落ちた寺跡の歴史に着目、奉納殿として再建し、祭りを執り行おうという運びになったようだ。
祭りでは地元の中学生等などがその時々流行のダンスを披露するらしく、山中の祭殿にドラマの主題歌やアニメソングが鳴り響く様はややシュールである。
奉納殿として再建されてから20年以上がたった現在、村おこしとして成功したかはともかく、山の神は満足しているようだ。
2024-07-15 14:01:50 +0000