【HD都営18】周囲に翻弄された電車【三田線6000形】

古淵工機10@RSPI作者?

東京都交通局(高速電車)6000形:
1968年の都営6号線(のちの都営三田線)開業に際して運用を開始。
都営地下鉄初のセミステンレス製車体を持つ電車である。
もともと三田線は浅草線の支線として計画されたものの、東武東上線および東急池上線との
直通運転計画が浮上したことから、浅草線と同様の軌間1435mm・18m級車両の規格をやめ、
東武東上線に合わせて軌間1067mm・20m級車両での建設となったが、その後東武・東急の両者ともに
直通運転を白紙撤回するに至り、三田線の直通運転計画は宙に浮いてしまったのである。
都はこれについて両社に抗議を行ったが、結局は突き返されてしまい三田線は一時完全に孤立した路線となっていた。

さて、6000形は東武東上線直通をもくろんで種別表示器や東武用保安装置の準備工事などを行い、
第1次車(6011編成~6141編成)が4連14本の56両登場。当初は浅草線と同じ赤色(タンジェリン)の帯をつけていたが、
1972年登場の第2次車(6151~6231編成・6連9本と1次車組み込み用中間車28両の計82両)では三田線のラインカラーがブルーに決定したことを受けて同色の帯をつけている。
なお、1・2次車は非冷房であったが、6121編成のみは冷房試作車的な位置づけであった。

1972年時点では1次車・2次車あわせ6連23本138両となり、翌1973年には3次車18両(6241~6261編成)が落成。
最後に登場した4次車12両(6271・6281編成)は冷房準備車として登場し、戸袋窓のないスタイルとなった。

6000形は日本の電車としては初めて、サービス電源用の補助電源装置に静止型インバータ(SIV)を採用したことが特筆される。
ただし冷房準備車の4次車については電動発電機(MG)によっている。

1988年には6271・6281編成が冷房化工事を受ける。
続いて1989年には残りの編成が集約分散方式で冷房改造を受けるが、このときDC-DCコンバータを新たに床下に新設して
これを冷房用電源としていた。

1993年に6300形(illust/53359420)が登場すると、経年の古い車両は置き換えられたが、
この当時三田線ではホームセンサー式のワンマン運転を計画しており、6000形も改修を行ったうえで当面は使用する予定であった。

ところが営団地下鉄(当時)南北線・埼玉高速鉄道線と東急目黒線との直通運転に際し、ATO使用によるワンマン運転と
ホーム可動柵の設置が決まると事態は急変。
6000形を継続使用するには新車導入に匹敵する多額の費用が掛かることとなり、全車6300形で代替することとなったのである。

かくして6000形は一度も他社線に乗り入れることなく1999年に6300形へと置き換えられて全廃となった。

現在は秩父鉄道、熊本電気鉄道およびインドネシア鉄道へと譲渡されているが、
このうちインドネシア譲渡分はJR東日本からやってきた205系(illust/42996111) に置き換えられ2016年に全廃、熊本電鉄でも2連1本が残るのみである。
秩父鉄道では3両編成化の上4編成12両が活躍していたが1編成が事故で運用離脱となり、以後は3編成の身での運用となっている。

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2024-07-07 11:15:47 +0000