<オリフレ>シャルトリュー

小蜂 凉平

『やあやあ!吾輩は『シャルトリュー』!「いかなる困難においても微笑みを忘れずに!」がモットーですぞ!
 尤も吾輩の屈強な肉体を目の当たりにすれば困難の方が逃げていくのですぞ!
 逃げなかったとしてもこの鉄拳をもってすれば一撃粉砕ですぞ!
 …でもその前に腹ごしらえですぞ!腹が減っては戦は出来ませんからな!
 出来れば美味しいロールキャベツを頂きたいですぞ!』
フランス原産の猫『シャルトリュー』のオリフレです。
はっきりとした起源が分からないほど古くからフランスで飼われているとされている猫で、その祖先が何処から来たのかについては北アフリカやシリア等様々な土地が候補として挙がりますが、一番有名な伝説として「腺ペストが大流行していた時代にカルトゥジオ(シャルトリュー)会の修道院でネズミ捕りに活躍したためシャルトリューと呼ばれるようになった」という物があり、各ルーツの諸説にも修道士や十字軍が持ち帰ったとされる辺り修道院や教会がその出自に関わっている可能性が高いと思われます。
シャルトリューはその青みがかった毛並みからタイの『コラット』、ロシアの『ロシアンブルー』と合わせて『ブルーの御三家』と称されていますが毛色以外の特徴として羊並みとも言われる毛の密度があり、その毛皮が美しさと撥水性を備えた実用的な素材として高値で取引されていた時代もありました。
そのため20世紀初頭にはその数を大きく減らしていましたが、第一次世界大戦によりさらにその頭数は激減してしまったため第一次世界大戦後にフランス国内のブリーダーによる保存の取り組みが始まります。
特に1930年代初頭にブルターニュ海岸の沖合に浮かぶ島「ベル・イル・アンメール」で見つかった個体群の功績は大きく現在のシャルトリューはその血を引いているとされています。
1939年には品種の基準が定められたものの、ここで第二次世界大戦が勃発しフランス全土が戦場と化したため再びシャルトリューの頭数は激減する事になります。
第二次世界大戦後に再びシャルトリュー復活の試みが始まりますが、この時にペルシャやブリティッシュ・ブルー等の多品種との交配を行った結果としてフランス国内では青っぽいずんぐりした猫を一緒くたにシャルトリューと認識するような由々しき事態に陥ってしまいます。
1977年にジャン・シモーネ氏のシャルトリュー愛好クラブでシャルトリューの特徴に基づく厳格な基準が設けられたのを皮切りに各愛猫家クラブでもシャルトリューの規格が定められていったことでこの混乱は終息に向かい、現在のシャルトリューは昔ながらの姿を取り戻す事に成功しました。
現在はやや人気が下火気味なものの長年に渡りフランス国内で人気の飼い猫TOP3の常連だったシャルトリューの中には著名人の飼い猫になった個体も少なくなく、第二次世界大戦時には亡命先の英国で自由フランス軍を率い、戦後に2期の大統領職に就いたシャルル・ド・ゴールの飼い猫『グリ・グリ(ブードゥーのお守り)』もその一匹で、元々グリ・グリはド・ゴール氏が2度目の大統領職に就く際に妻であるイヴォンヌ・ド・ゴール夫人が購入した猫ですが、ド・ゴール氏にも大変懐いており『公園を散歩するド・ゴール氏の後ろにグリ・グリが付き従っていた!』という噂が流れた事もあったそうです。

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2024-06-29 13:32:30 +0000