〈ドイツ民主共和国〉
1945年4月、ソ連軍はベルリンを陥落させ、ドイツ労働者党(DAP)の秩序を焼き尽くした。
戦後分断国家となった3つのドイツのうち東ドイツと呼ばれるドイツ民主共和国はその灰と瓦礫の中から誕生した国家である。
スターリンは東独国民の懐柔のため、戦後予定されていたポンメルンやシュレジエン、オストプロイセン南部のポーランドへの割譲、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国によるオストプロイセン北部の併合を白紙撤回し、第一次世界大戦後ドイツ帝国からポーランドへ割譲されていたグディニャ、ポズナン、デンマーク領ノルトシュレースヴィヒ、リトアニア領メーメル等ドイツ帝国時代の国境線に復するよう各国の領土を返還させ、占領下においていたデンマーク領ボーンホルム島を東独領とした。
また、東独領内での工業徴収を停止し、復興のため活用させた。
西部では、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州からハノーファーを経由しテューリンゲン州に至るラインをソ連が占領し、米英仏占領地との国境となり、これらの政策によって東ドイツは、在りし日のプロイセン王国を彷彿とさせる国土を形成することになった。
敗戦から10年となる現在、これらの政策により得られた強大な工業力による復興と経済発展、シュタージや国軍の権力制限による国民生活の自由化により、東側でもトップクラスの経済力を得た東ドイツは、「社会主義のショーウィンドー」として発展を続けている。
そして、今年成立したワルシャワ条約機構において、盟主ソ連に次ぐ地位を与えられている。
政治体制も、全議席中6割は与党であるドイツ社会主義統一党が指名するが、残り4割は国民の自由選挙で選出されており、民主主義を限定的に機能させている。
また、クレムリンは亡命中のホーエンツォレルン家をベルリンに呼び戻し、ハンガリーやブルガリアのように立憲君主社会主義国家「ドイツ民主主義人民王国」へ移行する計画を立案したが、米英仏占領下ドイツに建国されたドイツ帝国(西ドイツ)でホーエンツォレルン家が立憲君主として帝位復帰したため、東ドイツは共和国として建国された。
東ドイツも西ドイツも韓国植民地から解放された極東の日本三国(日本帝國、蝦夷人民共和国、九州共和国)と同様、復興と経済発展を続けており、それぞれの陣営で大きな影響力を有している。限定的といえど民主主義を機能させ、東側トップクラスの経済を誇り、冷戦の最前線となっている「砲弾の弾から孵化した聖母マリアの生まれ変わり」ドイツ民主共和国。この国は今後も発展を続けていくであろう。
廃墟より復興し、未来へ向かうドイツよ、その上に幸福と平和あれ。かつてなく美しく輝く太陽と平和よ、限りなく美しいドイツの上に、永久にその光降り注げ。
ドイツに永久の栄えあれ。
2024-06-14 06:09:49 +0000