『我が名は『カバルダ』!またの名を『アディゲシュ』!
平地を制する馬は数多くいるが山地の覇者はこのカバルダである!
この地の山々を荒らすものには断罪の一撃を加えるまで!
逃げたくば逃げるが良い!その時は山の頂まで追いつめ奈落の底まで蹴落としてやるまでだ!』
ロシア・コーカサス中央部のカバルダ地域原産の馬『カバルダ(アディゲシュ)』のオリフレです。
コーカサス山地の住人であるアディゲ人は古くから馬に対してのこだわりを有しており、
15世紀後半にムスリム化が進むとオスマン帝国やペルシャ帝国から馬を取り寄せて自分達の持っていた馬の性能を向上させるよ事で険しい山地での放牧と厳しい選抜の結果、蹄鉄が不要なほどの堅牢な蹄と長旅をものともしない驚異的なスタミナを備えたアディゲ人が『アディゲシュ(アディゲの馬)』、ロシア人がその名産地に因んで『カバルダ』と呼ぶ馬が生み出されました。
カバルダはその特性から軍馬のとしての評価が高く、蹄鉄を履かない事から大群で移動しても足音が目立たないという特性によりロシア帝国とコーカサス山岳民族との間で1817年からクリミア戦争による中断を挟みながらも1864年頃まで続いたコーカサス戦争の中での奇襲戦に投入されます。
コーカサス戦争にロシアが勝利し、アディゲ人の多くがオスマン帝国等の国外への脱出とロシアによる懲罰目的のコーカサス追放の憂き目を見ますが(ロシア国内に残ったアディゲ人は後に故郷に戻る事に成功するもののその後も色々な苦難に揉まれる事になる…)カバルダの価値はロシア側でも高く評価されていため1870年にその繁殖を目的とした繁殖農場がカバルダ地域に新たに設けられ軍馬としての供給が続けられる事になります。
その後他のロシアの馬の品種と同様に第一次世界大戦とロシア内戦に伴う頭数激減に直面しますが、ソ連政府は頭数回復に尽力し、育てられたカバルダの大半は騎兵部隊で運用されました。
第二次世界大戦の際にドイツ軍に繁殖農場のある地域が占領され、この地域に残されていたカバルダが持ち去られてしまいますが種馬を中心とした疎開により被害を抑える事に成功し、大戦後半のソ連軍反攻では持久力を活かした偵察任務等で活躍する事になります。
現在は騎兵用軍馬としての運用は行われていないものの、山岳地域の国境警備やトレッキングやスタミナを活かした長距離レースの分野で引き続き活躍しており、戦後再始動したもののソ連崩壊後の混乱により機能不全に陥った繁殖農場も地元有志により復活にむけて動いているとの事です。
2024-06-08 13:50:20 +0000