<オリフレ>ギドラン

小蜂 凉平

『やあ、私は『ギドラン』。よろしく頼む。 
 ここには私の親類たちが沢山いるが皆仲良くやれている様で嬉しく思う。
 ただ…ノニウスがな…どうにも奔放すぎるというか…何というか…
 いや!誤解しないでくれ!アイツは本当は良い奴なんだ!
 ただあの野良馬紛いな振る舞いが要らぬ誤解を生んでいる様でどうにも心配なのだ…
 う~む…どうしたものか…』
ハンガリー原産の馬『ギドラン』のオリフレです。
1816年にフェクティグ男爵という人物がエジプトから『サグラビー・ギドラン(Siglavy Gidran)』と名付けられたアラブ種の種牡馬を現在のスロヴェニア・リピカにある厩舎に持ち込み、その子孫である6頭の種牡馬(所謂ギドラン2世)がハンガリーにあるメズヘジェシュ国立種馬牧場に送られ繁殖に使われるようになりました。
1855年に種牡馬管理の基準を毛色から血統に変更するにあたって行われた調査の結果、メズヘジェシュ国立種馬牧場の栗毛の種牡馬のほとんどがギドラン2世の子孫である事が発覚し、この栗毛の馬の一族を独立した品種『ギドラン』として確立する運びとなりました。
その後ギドランは速さ、スタミナ、敏捷性、メンタルに優れた力強い特性を持つことから東欧の他品種の馬の品種改良にも用いられ、日本でもアングロ・アラブの血統改良に用いられています
第一次世界大戦後ルーマニアに戦利品としてギドランの牡馬のほとんど(98頭中74頭)を奪われてしまう災難に見舞われたものの、残された牡馬の内繁殖可能な13頭を元に繁殖を再開しました。
しかし今度は第二次世界大戦においてドイツの同盟国として枢軸国陣営に立ったハンガリーは大戦末期に国土を戦火に焼かれる事になり、1943年に分けられたギドランの系統の一つが全滅、生き残ったギドランはオーストリアやチェコスロバキアへ疎開させざるを得なくなります。
戦後ハンガリー国外に逃れた牝馬28頭がメズヘジェシュ国立種馬牧場に戻ってきたものの、繁殖の再開にはなかなか至らず
純血種の種牡馬3頭と牝馬16頭を核としてギドランを復活させる試みが始動したのは1975年になっての事でした。
ギドランの総数は現在200頭前後と言われており、絶滅のリスクが高い品種として知られていますが、2016年に現在のギドランの遺伝的多様性は想定されていた物より高く、絶滅を回避できる可能性があるとする研究発表が出されており、今後の動きに期待が持たれています。

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2024-05-25 13:07:42 +0000