旧国鉄 キハ22形気動車

Doctormad
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キハ20形気動車の北海道向け車両で両運転台式、かつては全道各地の路線で活躍していた気動車です。

キハ20は1957年に当時の国鉄が開発した気動車で、北海道向けにはキハ20形0番台を二重窓化して床下機器を耐寒装備としたキハ21形がありましたが、デッキが無く冬季の客室内温度維持の面で問題があるとの指摘がなされたため、1958年に耐寒対策面で強化し、デッキ付き二重床構造としたキハ22形が登場しました。

乗降口は両端に配置され、客室と仕切り扉を設けたデッキ構造となり、側窓は小ぶりな二重窓となり、暖房装置はエンジン冷却水を利用した温水暖房とし、且つ放熱フィンも設けて効率を強化しました。また床についても雪が融けて濡れた時の滑りにくさ、雪靴・雪下駄の滑り止め金具(スパイクなど)への対策から木張りとなり、さらに断熱材の厚さを増したため、暖地向けの標準車に比べ、レール面基準で50 mm高くなりました。

キハ22で培われた耐寒設備はキハ56やキハ40、キハ54、711系交流型電車など北海道における鉄道車両の耐寒設計の基準となっただけでなく、羽幌炭鉱鉄道や留萌鉄道など道内各地の私鉄でも類似車輛が導入されました。北海道向けに開発された車両ですが、一部は東北地方でも活躍し、一部は私鉄や第3セクター鉄道に譲渡されたりもしています。

1987年4月に国鉄が分割民営化された際は、比較状態が良い103両が引き継がれましたが、1995年3月15日までに運用が終了し、全車が廃車となりました。

通称「タラコ」と呼ばれた首都圏色と首都圏色になる前のクリーム色と赤色11号(スカーレット)のツートンカラーの2パターンで描いてみました。足回りについては描くのが難しかったので影でごまかしています。

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2024-04-27 06:02:24 +0000