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ゆぬ450MHz

"Ƨⵠʁ'ԓӏɘԓ ᕳᶍɘɘʁⱳ Дӏԗⵠʈ ᕳꝩӏɘԓʑԋԬԓ(Sar'nien Cxeerw Dipat Cyienzhon)"

ハクスラバ・ノノイ内務[HNYE]の自治衛旗主督(副元帥)。
二つ名は"ベゼチヌィイの聖侯"。
読みは"サーニェン・チェルウ・ディパト・シエンツォン"で、周りからはよくシエンツォンと呼ばれる。
生まれはチノチズの北イェツォハルカ州で、遺伝子異常と親の病気から様々な病気を抱えて生まれてきた。腕は3つ、そして足は4つ持っている。
頭は生まれつき背中側に転移してしまっており、正面から見た場合には頭が無いようにも見える。目は持っているものの頭の転移と合わさって背中寄りに位置しているほか複数存在している。ハクスラバ・ノノイでは前例がほとんどないとされるイェサリョーチト(遺伝異常型奇形)病の一種とされ、チノチズやココチアでも数件しか前例がなく、その罹患者はいずれも若くして亡くなっている。
だが彼女は例外であった。一度ココチア独立国家軍の国際化学研究局附属病院で治療を受けてから、その後の研究で部分的に回復していた。その治療の過程の中で4つあった足は歩きやすいようにと2つを切除され、腕も使用しやすいようにと捩れの調整をしていた。ハクスラバ・ノノイ内務にはその治療後に入り、世界戦争下でのコルカズス防衛戦争を経験した。初期はツァクラフコルカズス方面での活動であったが他の理解がうまくいかずに苦戦していた。偵察部隊に就いていた頃も自身の身長の高さや周りとの壁からまともにコミュニケーションも取れていなかったのだという。世界戦争中期からは上層部の判断によってユウ・沿岸アヴザストル共和国方面のトランスアヴザストル方面支軍へと送られ、軽機甲科師団の補助を務めた。
軽機甲科師団ではチノチズより供与された軽戦車を使用して統制ナセレとトラント帝国からなるコルカズス遠征軍の迎撃に当たった。同戦いにおいてはチノチズよりも先行して挟撃による戦力の削ぎ落しのほか、敵戦力の誘導などを行い、最終的には敵本隊を撤退に追い込み、その際に敵戦車群と交戦した。部隊での功績から順当に階位を上げて行き、世界戦争末期にはトランスアヴザストル方面司令部補佐指揮官にまで上がり詰めていた(もともとそこまで人数が居なかったというのもあるが)。
彼女はトランスアヴザストル方面並びにユウ・沿岸アヴザストル共和国に古代より伝わる神話に登場した使いに似ていたことから同一視され、よく崇拝されていた。
チエンツォン自身、悪くはないが自身の功績以上に称えられるため何か罪悪感を感じるとも言っていた。また、彼女の部下となった人物達の中には彼女に対して"天使様"と呼ぶ者もいたようであった。
若いころは顔はそのままにしていたが、若いころに子供に顔を見て泣かれたことや他人に怖れられたことからそれ以降は軍帽と顔を隠す布を常につけている。イェツェンチェン以外にはほとんどの場合顔を見せたことがない。
チェシガンチノチズ戦争期にはビリガジ方面での死守作戦に従事したもののその際に銃撃戦で左足を失っている。また、体格が大きいことから散弾銃や猟銃による射撃を頻繁に受けており、死守作戦末期には生きていること自体不思議なほどであった。ビリガジ人と共に死守を完遂しようと考えていたようだが、ビリガジ国家軍のサーロベカー・イェカティイェッツ軍部特務将校によってチノチズへ戻るように忠告を受け、他のチノチズ兵と共に帰国した。その後は怪我の度合いなどからチノチズ臨海政権ではなくチノチズ亡命政府と共に行動し、チノチズの再起に力を尽くした。

"Ԕⵠ'ʁӷᶍⵠԓᛖ ԊⵠДӏʪԋɘʈ ѶⵠԬԓ Џɘʈʑԋɘԓҁԋɘԓ(Xa'rlxanm Hadishet Vaon Yetzhenchen)”

ハクスラバ・ノノイ内務[HNYE]の自治巡衛補将補(准将)。
二つ名は"冷夏の嚮兵"。
読みは"サーサン・ハディシェト・ヴァオン・イェツェンチェン"で、周りからはイェツェンチェンと呼ばれている。
生まれはチノチズの南イェツォハルカ州で、幼少期のころに一度だけシエンツォンと会っている。その時から彼女に運命を感じたらしく、その後数年間は彼女の動向を探っていた。世界戦争中期からハクスラバ・ノノイ内務に属し、対統制アイカルランド戦線の戦力維持のためチノチズ軍に対する支援物資の輸送や偵察支援などを行っていた。走るのが得意、というよりも好きであったと言い、暇さえあれば持久走をしていたようである。特に世界戦争後期にはコルフェンからツハサクート・ノート連邦連邦のヴェゼジノイまでの長距離伝令も行っており、体力は異次元のものといっても過言ではないようである。世界戦争後期からはハクスラバ・ノノイ内務上層部の決定によってティゼン・アルヴイナ方面への異動が決定したもののツァクラフコルカズスからの異動で定員が埋まっていたためトランスアヴザストル方面へ送られた。その際にシエンツォンの部隊に配属され、シエンツォン率いる軽機甲科師団の上長を務めた。
世界戦争後は復興事業に就き、シエンツォンと共にアスバムミルやハンテッフ方面での土木作業と上下水道復旧の指揮を執っていた。
チェシガンチノチズ戦争ではシエンツォンと共にビリガジ防衛作戦に参加したがその最中に野砲の砲撃で意識不明となりユウ・沿岸アヴザストル共和国へ治療のために移動した。完全に意識が戻ったのはチェシガンチノチズ戦争末期であり、戦勝の瞬間をこの目で見たかったと本人は語っていた。

#original#Hakusurava_Nonoi#hand-drawn#illustration

2024-03-25 14:53:07 +0000