「長男の時麿が心臓麻痺と町医者は判断したが、私はそれが偽りだと思っている」
「偽り、ですか……」
「『M』を作り出すことの出来る一族だ。毒を精するのも容易いだろう。
クサいのは長田家よ……病死に見せかけるよう毒を盛り、時弥の当主就任を早めたと見える」
入り婿であることで、当主就任を逃し克典は苦しい立場にいる。
妻である乙米には露骨に見下されているし、このまま克典が一族内の序列を上げることが出来なければ、水木だって社内の立場は悪くなるだろう。
「そこでだ、水木君」
克典が懐から小さなアンプルを取り出した。
(これは……)
「やはり知っていたか」
龍賀製薬の富の源――『血液製剤:M』。
社長にも知らされていない、原液を作る工程を掴むことが出来れば……
そのアンプルを卓上に戻すし、克典社長に向き直る。
(恐らくこの話の流れ……Mの調査をさせられるな……)
克典は葉巻をカットすると、真剣な――試すような視線を水木に投げかけてきた。
唾を飲み込むと水木は、一度だけ瞬きをする。
「覚悟を見せてくれ、水木君…」
「(……?????)――頂戴します!」
(瞬きの間に服装が変わった、だと…!)
即座に反応できたのは最早奇跡に近い。
それくらい目の前に意味の分からない光景が広がっていた。
水木が瞬きをした直後、克典は『乙米♡』『一生推す♡』と印字された濃紺のハッピを身にまとっていたのである。
右手には藍色に怪しく光る細長い手持ちの電灯(?)、左手には『罵って♡』の文字が躍る黒い団扇。
額には『乙米♡LOVE』という頭の悪、ではなく、謎の文字が書かれた鉢巻。
視界の中、克典の背後にもいつの間にか乙米が描かれた掛け軸(?)まで飾られていた……。
(一体、何が起こっている? 何を試されているんだ俺は――ッ!)
とりあえず水木は、突き出された用途不明の電灯(?)を恭しく受け取ると、そのまま沈黙が下りた。
克典は、血走ったままの目線で水木を凝視する。
レスバの切れ味以外の、何かをまだ試されているのは分かった。
(推す、の意味はよく分からないが♡が乱舞しているあたり、もしかしたら……妻自慢をしたい、のか……?
臨機応変さを求められているのか……?)
間違っていたらどうしよう。本気で自信が無い。
水木は営業で培った優秀な頭脳をフル回転させるが、あんまりな異常事態に確信が持てないでいた。
こんな訳の分からない状況は真(しん)に人生初である。
しかし何か話さなければと、水木は半ば義務感で口を開いた。
「……奥様とは、てっきりあまり仲が宜しくないのかと…」
「何を言っているんだね水木君。好きでもない女と結婚するわけなかろう、たとえ出世のためであってもね……。
女ってのは気が強ければ強いほど良い。私はね、社長の側面では確かに乙米は目の上のたん瘤(こぶ)だとは思っているが……人間としては気に入っているのだよ。
気が強く弱みを決して見せたがらず、ひっそりと苦しみ、涙を流し……ある事情から娘に真っすぐな愛情を向けたくても向けられない、気の毒な女でもある。誤解されがちだが、いい女だ。私なりに寄り添いたいと思う気持ちに偽りはない」
「……そう、なんですか」
世紀末でもお目にかからないふざけた格好をしているが、その口から語られるのは本気の惚気である。
詰めが甘い、と見くびっていたが、意外とそこまで嫌な奴ではないのかもしれない……。
「そして私はあの女の尻に敷かれたいがために、わざと煽るほど愛してる」
「……………………高尚な精神ですね」
(マズイ……社長の恋愛観、倫理観(?)が理解できない……!
これ以上、墓穴を掘らないためにも話題を変えなくては……!!)
「ところでその電灯(?)とハッピと鉢巻は何ですか? 随分気合入っていらっしゃいますが…」
「この装いはだね100年後…いや! 80年後には必ず流行る”推し活”の正装なのだよ水木君…!」
「(分からねぇ……)流石は克典社長! 先見の明が優れていらっしゃる!」
水木は渾身の営業スマイルを張り付けた。
そしておよそ80年後、本当に『推し活』なるものが流行るとは(克典以外)思いもしなかったのである。
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葉巻を渡すかと思いきや、サイリウム突き出してきたときは戦慄しましたね。
まさか自ら異常事態を作り出し、水木を駒として利用できるかどうかを試すとは……
でも個人的には試すのは建前で、自作した自慢の推しグッズを水木に見せびらかしたかっただけなんじゃないかと思ってます。
そして克典→→→→→→乙米が、まさか最終局面で重要な役割を果たすとは思わなかったですね。
幸運バディシリーズにおいて、唯一乙米に相性有利を取れる男。
乙米は克典の気迫に恐れを抱いている。
見下した発言を克典にすることで、心の平静を無理やり保っているらしい。
2024-03-22 16:03:38 +0000