ハクスラバ・ノノイ民族自治総務(トランスアヴザストル方面軍)
画像:ハクスラバ・ノノイ民族自治総務(トランスアヴザストル方面軍) "ԊⵠԟҹʪҹʁⵠᏤⵠԟ-ԔⵠӏДɘӷⵠԓⵠ(Hakusuravak-Xaidelana)"
左から
"Ѷҹӏʁӏ-ДӏɘԬҁӏⵠʈ-Ѓɘԓʁӏ(Vuiri-Dieociat-Lenri/ヴイリ-ディエオチャト-レンリ)" 民族自治準衛
"Δʑԗⵠԟ'Џɘҁ-Ǭӏɘʈ-ҎⵠᏤӏԬ'ʈʑᕳӏɘʁ(Azpak'Yec-Qiet-Pavio'tzCier/アズパクイェツ-チエト-パヴョチエリ)" 民族自治準衛
"Δԟⵠʁ'ꝇʪʈⵠʁӷ-ЏӏʈʑӏԬԟԓԬʈ-Ҕɘʁʁӷӄꝩӏӏ(Akar'Istarl-Yitzioknot-Berrlqyii/アカー(ル)イスタール-イツィオノット-ベールクィイ)" 民族自治準衛
"Ѷҹӏʁӏ-ДӏɘԬҁӏⵠʈ-Ѓɘԓʁӏ(Vuiri-Dieociat-Lenri/ヴイリ-ディエオチャト-レンリ)" 民族自治準衛
ハクスラバ・ノノイ内務の民族自治準衛(准将に該当)。二つ名は"ヴクラハの凶槌󠄀"。
コルカズスではなく統制アイカルランド方面生まれのノノイ人で父親がアイカル人、母親がノノイ人である。世界戦争期には統制アイカルランド地上軍の兵士として戦っていたが自国への帰属意識や統制アイカルランドの侵攻などに対する反感からコルカズスに戻りハクスラバ・ノノイ内務へと所属した。その後は同組織における偵察兵として軽哨兵部隊の副指揮官を務めていた。ヴクラハの戦いのときには統制ナセレ遠征軍と交戦しており、近接戦であったため同国軍兵士との白兵戦を経験している。もともと体を動かすのが得意であったこともあって手持ちの木の棒で相手をめった刺しにしたりしていたようである(後に上官に酷く叱られたようだが)。そのため二つ名がヴクラハの凶槌だったりする。ナヴォルガ紛争期はチノチズ側と敵対していたがココチアとの接触で事を理解し転換してチノチズ側に味方している。
チェシガンチノチズ戦争期にはコルカズスにいたためすぐに偵察部隊の編成とその指揮を執って外州ビリガジへ向かっている。同国においては防衛のために戦闘を繰り広げたものの物量の前に為す術もなく撤退している。部隊は残り続けようとしてはいたが外州ビリガジ側の強い要望で現地を離脱している。チェシガン共和国によるチノチズ占領後はツハサクート・ノート連邦連邦へ脱してチノチズ亡命政府軍との共同行動としていたがチノチズ上陸作戦に当たって先行する偵察を行うため一足先にチノチズへ向かっている。ウルガン奪還後は東部方面奪還作戦に従事する予定であったが連続して作戦を遂行していたため部下に心配され、そのうえチノチズ独立国家軍の士官からも心配されたためウルガンでの復興作業に従事した。
"Δʑԗⵠԟ'Џɘҁ-Ǭӏɘʈ-ҎⵠᏤӏԬ'ʈʑᕳӏɘʁ(Azpak'Yec-Qiet-Pavio'tzCier/アズパクイェツ-チエト-パヴョチエリ)" 民族自治準衛
ハクスラバ・ノノイ内務の民族自治準衛(准将に該当)。二つ名は"アスバムミルの辞書引き"。
チェシガン共和国のクラズ・バダガン州出身のラミバル・ノノイ人。ハクスラバ・ノノイの分系ともいえるラミバル・ノノイ人であり、厳密にはノノイ人ではない。世界戦争以前にはチェシガン共和国にいたがラミバル自治州への締め付けが強くなったことから同国の他の民族からの支援を受けて同国を脱した。本人の意志ではないが仕方なくだという。世界戦争期はココチア独立国家軍のココツォールトネネイ内務に属し、山岳からの迫撃砲の観測支援と測距支援を行っていた。幼少期から目が優れており、曇っていたり霧が出ていなければかなり精度で野砲の測距を的中させる能力を持っており、同国軍からも一目置かれていた。世界戦争後は大戦期の反省から独学でココチアとチノチズの地理を調べていたりしたようである。チェシガンチノチズ戦争の開戦に伴ってココチアからチノチズへ向かい、同国の防衛支援に努めたが物量と力量の前に為す術のないチノチズに気づいていた彼は撤退を具申した。チノチズ側でも反対意見が大多数を占めていたがԱզբանեն-Միկոլայ(アズバニェン-ミコラーイ)とԿումիեն-Սարան(クーミェン-サーラン)の支援を取り付けて正式に撤退を決定させた。撤退後は自分の責任からチノチズに残ろうとしていたもののミコラーイからついてくるよう命じられたため共にツハサクート・ノート連邦連邦側へ脱している。チノチズ上陸作戦前にはレンリと共に行動していたが、上陸作戦時の地理情報と位置情報の計算や確認のため司令部附きとなっていた。以前から調べていたチノチズの地理情報やもともと持っていた記憶能力から砲兵と偵察兵に対して的確な指示を出して進軍を確実なものとした。ウルガン奪還の立役者であり、後にチノチズ特等祖国防衛指揮従事者勲章を受勲している。戦後はチノチズのチェシ郊外で住んでいたが戦争のストレスからか心臓病を頻発し、何度も病院に通っていたという。
"Δԟⵠʁ'ꝇʪʈⵠʁӷ-ЏӏʈʑӏԬԟԓԬʈ-Ҕɘʁʁӷӄꝩӏӏ(Akar'Istarl-Yitzioknot-Berrlqyii/アカー(ル)イスタール-イツィオノット-ベールクィイ)" 民族自治準衛
ハクスラバ・ノノイ内務の民族自治準衛(准将に該当)。二つ名は"オブンクナの雷声"。
クルハネツヴィチュィエ州(後のレイサヴァドチスタン共和国領内)生まれのノノイ人。クルハネツヴィチュィエ州生まれではあるが生まれてすぐにチノチズのオブンクナへ移動していたため本人の中では特に記憶もない。オブンクナ・ハンコにおいて郵便電信員として仕事についていたが世界戦争の開戦によってチノチズ独立国家軍に所属し、同国のハンコ特別軍に属した。任務としては牽引野砲を使用した防衛作戦が主であったようではあるがそれ以外にも当時運用が始まったばかりであった航空電管放送による航空軍兵士への呼びかけや定時放送なども行っていた。喋り方(というよりも無線機との相性)に癖があったようで喋り始めに音量が大きく徐々に弱くなっていくことから彼の声は雷鳴のようだとも言われていた。本人曰く何度か言い方を変えてみたりもしていたようだが何も変わらなかったようである。ナヴォルガ紛争時にはチノチズ独立国家軍に属していたため特別双方に害したりしたわけではなく。後にはチノチズの指導の下抵抗するハクスラバ・ノノイ内務(反抗軍)に対する降伏の呼びかけなども行っていた。
チェシガンチノチズ戦争時には偶然にしてチノチズ東部のキリ・ハニにおり、チェシガン共和国側に捕縛されてしまった。その際には臨時成立した(させられた)ハセイクスタン自治管区連合州の州長を務めさせられそうになったがチェシガン共和国のラミバル兵とレイザ兵によって他の兵と共に早々に逃がされている(その際に逃がしたラミバル兵とレイザ兵は処刑されているらしい)。ウルガン占領後は臨海政権と共に北部チェンヴァン州アズヴァムサ(=ツェイ・ウルガン)へ移り、同国の最終防衛を指揮した。
2024-02-18 12:29:53 +0000